〜バロック都市計画が生んだ視覚的トリックと、歩行者空間化による現代の経済効果〜
※本記事は2026年1月時点の最新リサーチおよび歴史的資料を基に構成された長編レポートです。
「都市は、それ自体が一つの巨大な劇場である」――かつてルイス・マンフォードがそう喝破したように、優れた都市空間には、訪れる人々を魅了し、物語の中へと引き込む「演出」が施されています。
その究極の事例として、世界中の都市計画家や建築家がこぞって参照する聖地が存在します。それが、イタリア・ローマの北の玄関口、「ポポロ広場(Piazza del Popolo)」です。
広大な楕円形の広場、中央に天を衝くオベリスク、そしてそこから扇状に広がる三本の街路「イル・トリデンテ(Il Tridente)」。これらは単なる交通処理のための道路網ではありません。そこには、数世紀にわたる教皇たちの政治的野心、バロック建築家たちによる高度な幾何学的トリック、そして都市の経済活動を活性化させるための緻密な計算が隠されています。
本稿では、この歴史的空間がいかにして形成されたのか、その知られざる「視覚の魔術」を徹底的に解剖します。さらに、その知見を遠く離れた日本の北国、北海道・洞爺湖町のまちづくりへといかに接続可能か、大胆なシミュレーションを試みます。
1. 歴史の深層:忌まわしき墓所から「聖なる玄関」へ
現在でこそ、優美な石畳と噴水が織りなす憩いの場として親しまれているポポロ広場ですが、その起源を遡ると、驚くべき歴史の暗部に突き当たります。
ネロ皇帝の亡霊と教会の建立
古代ローマ時代、この地は「カンプス・マルティウス(マルスの野)」の北端に位置し、フラミニア街道がローマ城壁内へと入る境界点でした。しかし、中世のローマ市民にとって、この場所は決して近づいてはならない「忌み地」だったのです。
伝説によれば、現在のサンタ・マリア・デル・ポポロ教会が建つ場所には、暴君として名高い第5代皇帝ネロの墓所がありました。そこには悪霊が出没し、カラスが群がり、不吉な出来事が絶えないと恐れられていたのです。
転機が訪れたのは1099年のことでした。教皇パスカリス2世は、この悪しき伝説を払拭し、土地を浄化するために、市民(ポポロ)からの寄付を募って教会を建立しました。これが広場の名前の由来の一つとされる「ポポロ(市民)の広場」の起源です(※ポプラの森説もあり)。つまり、この広場は最初から「都市計画」として始まったのではなく、一種の「エクソシズム(悪魔祓い)」としての宗教的動機からその歴史を刻み始めたのです。
都市の重心を定める「オベリスク」の旅路
広場が現在の骨格を持ち始めたのは、ルネサンス後期からバロック期にかけてのことです。特筆すべきは、1589年に行われた「フラミニオ・オベリスク」の移設です。
時の教皇シクストゥス5世は、荒廃していたローマの都市構造を再編するため、主要なバシリカ(大聖堂)を直線道路で結び、その結節点に目印となるオベリスクを配置するという壮大な「ローマ大改造計画」を実行しました。このオベリスクは単なる飾りではありません。
| 項目 | 詳細データ |
|---|---|
| 起源・製作時期 | 紀元前1300年頃(エジプト第19王朝・セティ1世/ラムセス2世) |
| ローマへの移送 | 紀元前10年(アウグストゥス帝による戦利品として) |
| 広場への設置 | 1589年(建築家ドメニコ・フォンターナが担当) |
| 高さ・重量 | 本体約24m(台座込約36.5m) / 推定重量235トン |
このオベリスクを中心点として据えたことで、それまで漠然としたオープンスペースであった場所に、強力な「求心力」が生まれました。これこそが、後の「トリデンテ(三叉路)」構想の基点となったのです。
2. 空間の魔術:トリデンテと双子教会による「視線制御」
ポポロ広場を都市計画史上の金字塔たらしめているのは、広場の南側から放射状に伸びる三本の街路、「イル・トリデンテ(三叉の矛)」の存在です。
放射状道路システム「トリデンテ」の機能
オベリスクを背にして南を向くと、以下の三本の道路が扇状に展開しています。この構造は、ベルサイユ宮殿やワシントンD.C.の都市計画にも多大な影響を与えました。
-
1. コルソ通り(Via del Corso) – 中央
古代のフラミニア街道の直系。ローマの中心部であるヴェネツィア広場へと直結する「都市の背骨」。 -
2. リペッタ通り(Via di Ripetta) – 右翼(西)
テヴェレ川のリペッタ港へと通じる道。物流と商業の動線を担いました。 -
3. バブイーノ通り(Via del Babuino) – 左翼(東)
スペイン広場方面へと通じる道。巡礼者たちをサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂方面へ誘導する役割を果たしました。
▲ Google Map:広場(北)から南へ伸びる3本の街路が確認できる。
【深掘り】双子教会に隠された「幾何学的嘘」
トリデンテの起点、三本の道路に挟まれた二つの楔形の敷地には、一見すると瓜二つの教会が建っています。「サンタ・マリア・イン・モンテサント教会(左)」と「サンタ・マリア・デイ・ミラコリ教会(右)」です。
しかし、ここにバロック建築特有の高度な「騙し絵(トロンプ・ルイユ)」的技法が隠されていることをご存知でしょうか。
実は、この二つの敷地は左右非対称であり、左側(モンテサント側)の敷地の方が幅が狭いのです。もし同じ設計図で建ててしまえば、左側の教会だけが窮屈に見え、広場のシンメトリー(対称性)は崩壊してしまいます。
そこで、建築家カルロ・ライナルディ(後にベルニーニとカルロ・フォンターナが協力)は、以下の解決策を講じました。
| 比較項目 | 左:モンテサント教会 (Santa Maria in Montesanto) |
右:ミラコリ教会 (Santa Maria dei Miracoli) |
|---|---|---|
| 敷地条件 | 幅が狭い | 幅に余裕がある |
| ドーム形状 | 楕円形(十二角形プラン) | 正円形(八角形プラン) |
| 視覚効果 |
オベリスク付近から見ると、遠近法の作用により 「完全に同じ大きさ・形の双子」に見えるよう補正されている。 |
|
このように、物理的な制約を幾何学的な工夫で乗り越え、「あるべき理想の都市景観」を人工的に作り出すことこそが、バロック都市計画の真髄なのです。
3. 現代的価値:歩行者空間化による経済の再生
歴史的な遺産であるポポロ広場ですが、1990年代までは自動車のロータリーとして使われ、排気ガスと騒音にまみれた場所でした。しかし、1998年の「完全歩行者空間化(ペデストリアン化)」を境に、その価値は劇的に変貌を遂げました。
ウォーカビリティ(歩きやすさ)と経済指標の相関
「車を排除すると客足が遠のく」という商店主たちの懸念に反し、歩行者専用化は周辺エリアに巨大な経済効果をもたらしました。以下のグラフは、世界の主要都市における歩行者空間化プロジェクトが商業売上に与えた影響の傾向を示したものです。
【図解】歩行者空間化後の小売売上高の増加率(主要事例)
※小売売上は22%増、空室率は大幅低下
※ストロイエ地区の歩行者天国化事例
※路地裏(レーンウェイ)再生プロジェクト
出典:NYC DOT, Gehl Architects等のデータを基に作成
ポポロ広場においても、歩行者が自由に回遊できるようになったことで、広場に面したカフェ「Rosati」や「Canova」のテラス席は常に満席となり、ブランド価値が飛躍的に向上しました。都市空間において「滞在の快適性(Comfort)」と「回遊性(Connectivity)」を確保することは、もはや単なる景観美化ではなく、最もROI(投資対効果)の高い経済戦略であると言えます。
4. 北海道・洞爺湖町への応用:自然のオベリスクと冬の戦略
翻って、私たちの視点を日本の北海道、洞爺湖町へと移しましょう。一見すると、古代ローマの石造りの都市と、北海道の自然豊かな温泉地には共通項がないように思えます。しかし、「視線を制御し、都市の骨格を作る」という本質において、ローマの知恵は極めて有効な示唆を与えてくれます。
戦略1:「自然のオベリスク」を定義する
ローマのトリデンテが人工的なオベリスクに向かって収束するように、洞爺湖町においては、圧倒的なスケールを持つ自然景観そのものを「都市軸のアイストップ(視線の終点)」として再定義すべきです。
フラミニオ・オベリスク
人工的な垂直要素を配置し、迷路のような市街地の中で「方向感覚」と「権威」を可視化した。
羊蹄山・中島・昭和新山
既存の道路(例えば道道2号線や湖畔通り)から、これらの山々や湖が正面に見えるポイント(ヴィスタポイント)を特定し、その軸線上から電柱や看板を撤去する「引き算のデザイン」を行う。
▲ Google Map:洞爺湖とその周辺(羊蹄山・中島・昭和新山)の位置関係。
戦略2:「ウィンター・シティ」としての広場の再発明
北海道における最大の課題は、ローマにはない「積雪」と「厳冬」です。ポポロ広場のような広大なオープンスペースは、冬には寒風が吹き抜けるだけの荒野となりかねません。
しかし、逆説的に考えれば、雪を「障害物」ではなく「建築資材」として捉えることで、新たな広場の形が見えてきます。
- 可変する広場:夏はローマのような開放的な広場として機能し、冬は雪像やかまくらによって空間を分節化し、「小さな居場所」の集合体として再構成する。
- 現代の雁木(がんぎ):ローマのポルティコ(柱廊)のように、建物の前面に半屋外的通路を連続させ、雪や風を避けつつ街路の景観を楽しめる「守られた歩行空間」をネットワーク化する。
札幌市の「チ・カ・ホ(地下歩行空間)」が証明したように、冬期における快適な歩行環境の提供は、経済活動を維持するための生命線です。洞爺湖町においては、地下ではなく「半屋外」の工夫によって、四季を通じて機能する広場と軸線を創出することが求められます。
結論:視線が導く、都市の品格
ポポロ広場が教えてくれるのは、美しい都市とは、単に豪華な建物が並んでいる場所のことではないという真理です。
それは、「どこから来て、どこへ向かうのか」という都市の軸線が明確にデザインされ、訪れる人々の視線が自然と美しいもの(オベリスクであれ、羊蹄山であれ)へと導かれるように設計された空間のことです。
三叉路(トリデンテ)が数世紀の時を超えて人々の心を捉え続けるように、現代のまちづくりにおいても、目先の利便性だけでなく、100年後の人々がその風景の中に「意味」と「美」を見出せるような、骨太なグランドデザインを描くこと。それこそが、今私たちに求められている責務ではないでしょうか。
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