〜なぜ今、私たちは「地域のお金」を必要とするのか〜
確かに、私たちが普段使っている「円」は、東京でも沖縄でも、あるいはAmazonのサイト内でも同じ価値を持つ極めて便利な道具です。しかし一方で、その「どこでも使える」という利便性は、裏を返せば「どこへでも逃げていく」という性質を持っています。
そのため、地方経済における最大の課題は、しばしば「漏れバケツ(Leaky Bucket)」理論で説明されます。例えば、観光や補助金で地域というバケツにどれだけ水(お金)を注いでも、バケツの底に「域外資本への支払い」や「ネット通販」という穴が開いていれば、水は溜まることなく流れ出てしまいます。
つまり、地域通貨(Community Currency)とは、このバケツの穴を塞ぎ、地域内でお金を強制的に循環させるための「装置」なのです。これは単なる決済手段の代替ではありません。むしろ、グローバル資本主義の中で希薄になった「コミュニティの血流」を取り戻すための挑戦であると言えます。
本稿では、まず1930年代の伝説的な実験を振り返り、次に最新のデジタル技術と北海道洞爺湖町での新たな試みを俯瞰し、最後に地域通貨が持つ真の可能性を紐解きます。
第1章:歴史が証明する「お金の循環」の威力
実は、地域通貨の歴史は古く、そしてドラマチックです。その原点は、現代の私たちが直面している「不況」や「格差」への処方箋として登場しました。
1. 「ヴェルグルの奇跡」——腐るお金が救った町
地域通貨を語る上で避けて通れないのが、1932年、世界大恐慌の只中にあったオーストリアの小都市ヴェルグル(Wörgl)の事例です。当時、失業率が高まり破綻寸前だったこの町で、町長は「スタンプ通貨(毎月1%減価するお金)」という奇策を打ち出しました。
仕組み
手元に置いておくと価値が下がるため、人々は貯め込むことができません。したがって、給料として受け取った瞬間に、税金の支払いや買い物に使いました。
結果
法定通貨が銀行に退蔵される一方で、地域通貨は猛烈なスピードで循環しました。その結果、流通速度は法定通貨の約14倍に達しました。
成果
結果として、滞納税金は完済され、インフラ整備が進み、失業率は劇的に改善しました。これが後に「奇跡」と呼ばれる所以です。
2. 日本における失敗の教訓
一方で、日本においても2000年代にブームが到来しましたが、多くは休止に追い込まれました。主な失敗要因は以下の通りです。
| ボランティア頼み | 紙券の管理や換金作業が煩雑であり、結果として運営側の事務負担が限界を超えてしまいました。 |
|---|---|
| 使い道の欠如 | 「肩たたき」等の互助活動には使えました。しかし、日々の食料品購入(商業利用)には使えず、経済的な広がりを持てませんでした。 |
| 一過性 | 補助金頼みの「プレミアム商品券」的な運用に終始しました。そのため、お得感がなくなると同時に利用が途絶えてしまいました。 |
第2章:デジタルが変えた地域通貨の「生態系」
ところが、2010年代後半、この状況を一変させる「黒船」が登場します。それがスマートフォンの普及です。デジタル化により、コスト構造と利便性が劇的に改善されました。
岐阜「さるぼぼコイン」
まず、地元の信用組合が主導し「1コイン=1円」を担保しました。さらに、加盟店間の送金(B2B)を可能にし、店が受け取ったコインを仕入れに回せる仕組みを構築しました。
独「キームガウアー」
一方、ドイツでは換金時に5%の手数料を徴収します。店側はこの手数料を避けるため、換金せず「卸業者への支払い」に再利用します。その結果、ユーロの約3倍の流通速度を実現しました。
第3章:ケーススタディ——洞爺湖町「とうやコイン」
こうした背景を受けて、人口約8,400人的な観光地、北海道洞爺湖町で2025年、デジタル地域通貨「とうやコイン」が始動しました。
現状では、スマホアプリによる決済、1ポイント=1円の等価交換、行政ポイントの付与といった「基本機能」はすでに実装されています。しかし、行政主導のプロジェクトには常に「予算の切れ目が縁の切れ目」というリスクが付きまといます。
例えば、プレミアム(割増)原資となる税金が尽きた時、ユーザーは離脱しないでしょうか? また、運営コストは誰が負担し続けるのでしょうか? したがって、この「持続可能性」の壁を突破する鍵が必要となります。それこそが、次章で解説するDAO(分散型自律組織)の思想です。
第4章:未来への飛躍——「Toya DAO」構想とデジタル村民
さて、ここからが本稿の核となる新たな展開です。地域通貨を単なる「お得な決済手段」で終わらせるのではなく、地域に関わるすべての人々による「自治(ガバナンス)」のツールへと進化させる。つまり、それが地域通貨DAOの可能性です。
1. DAOとは何か?——「デジタルな町内会」
そもそもDAO(ダオ)とは、ブロックチェーン技術を用いて、特定のリーダーがいなくても参加者の合意形成によって自律的に運営される組織のことです。要するに、これを地域通貨に当てはめると、「通貨を持っている人が、その地域の運営方針や予算の使い道を投票で決められる仕組み」と言えます。
2. 観光客を「株主」にする——トークンエコノミー
洞爺湖町の最大の資産は年間数万人の観光客です。そこでDAOの仕組みを導入することで、彼らを単なる「お客さん」から「地域の運営者」へと変革します。
デジタル村民権(NFT)の発行
まず、洞爺湖のファンに対して、会員権としてのNFTやガバナンストークン(投票権付きコイン)を販売します。これにより、物理的に住んでいなくても「デジタル村民」として扱います。
予算の使い道を「投票」で決める
次に、決済手数料の一部を「コミュニティ金庫」へ積み立てます。そして、「湖の稚魚放流」か「花火大会の豪華化」か、プロジェクトに対しコイン保有者がアプリで投票を行います。
スマートコントラクトによる「貢献の自動化」
さらに、GPS連動で「ゴミ拾い」が証明されれば即座にコインが付与されます。人の手を介さず、ブロックチェーン上で透明性高くインセンティブを与えるためです。
その結果、観光客は「自分が投票した花火」を見るために再訪します。すなわち、お金を落とすだけの存在から、地域を共に良くするステークホルダーへと変わるのです。
第5章:地域通貨の功罪とDAOへの課題
もちろん、DAO化は理想的なシナリオですが、実装には高いハードルもあります。ここで改めてメリットと課題を整理します。
| メリット(進化版) | デメリット・課題 |
|---|---|
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「やらされ感」の消失 行政に決められたことではありません。自分たちで投票して決めたプロジェクトだからこそ、熱量が維持されます。 |
法的なグレーゾーン DAOの法人格やトークンの税務処理について、法整備が途上の部分があります。そのため、慎重な設計が必要です。 |
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外部資金の獲得 世界中の投資家が地域の将来性に期待してトークンを購入します。その結果、自治体財政に頼らない資金調達が可能になります。 |
テクノロジーの壁 「ウォレット」等の概念は一般層には難解です。したがって、裏側の技術を意識させないUI設計が必須となります。 |
結論:通貨から「コモンズ(共有地)」の再生へ
かつてヴェルグルの人々は、減価する貨幣によって恐慌を生き抜きました。そして今、洞爺湖町にはブロックチェーンとDAOという新たな武器があります。
最終的に、「とうやコイン」が目指すべき形は、単なるキャッシュレスアプリではありません。それは、美しい湖や温泉という地域の共有財産(コモンズ)を、住民と世界中のファンが協力して守り、育て、その価値を分かち合うための「デジタルな広場」です。
観光客が「また来るね」ではなく「ただいま」と言って帰ってくる。そして、アプリを開いて「来月の祭りの予算、どうする?」と投票する。そんなSFのような未来が、地域通貨の延長線上に確かに描かれ始めています。
結論として、お金の形を変えることは、コミュニティの形、そして民主主義の形そのものをアップデートする挑戦なのです。
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