日本の都市計画の特異性と、北海道洞爺湖町で見られる「規制」と「自由」のバランス〜


※本記事は2025年12月時点の情報を基に構成しています。

日本の街を歩いている場面を想像してみてください。例えば、静かな住宅街の角を曲がったとします。すると突然、活気ある商店街が目の前に現れることがあります。さらにそのすぐ裏手には、小さな町工場が機械音を響かせていることさえあるでしょう。

私たち日本人にとって、この「ごちゃ混ぜ」の風景は原風景であり、日常そのものです。しかしながら、都市計画というマクロな視点で見るとどうでしょうか。あるいは欧米の整然とした都市と比較したとき、これは「世界でも稀に見るカオス(混沌)」と映ります。その一方で、多くの専門家がこれを「奇跡的な機能美」であると称賛するのです。

なぜ、日本の都市はこれほどまでに多様な機能が混在しているのでしょうか? 実のところ、その謎を解く鍵は、20世紀を代表する都市理論家ジェーン・ジェイコブスの提言にあります。加えて、明治以降の日本が独自に開発した「累積的ゾーニング」という発明も、極めて重要な要素です。

そこで本記事では、この「日本的カオス」のメリットを活かしつつ、観光地としての美しさを守ろうとする北海道・洞爺湖町の最新事例を徹底取材しました。「自由」と「規制」の狭間で揺れる現代のまちづくり。結論として、その最前線にある精緻なパズルを紐解いていきます。

1. ジェーン・ジェイコブスの遺言と都市の「死」

近代都市計画が招いた「退屈な地獄」

時計の針を1960年代に戻しましょう。当時、世界の都市計画の主流は、ル・コルビュジエに代表される「輝く都市」の思想でした。具体的には、都市を機械のように捉える考え方です。「住む場所」「働く場所」「遊ぶ場所」を明確にゾーニング(区分)し、それらを高速道路で効率的に結ぶという計画でした。

一見すると、合理的で衛生的な計画に思えます。しかし、これに対し真っ向から異を唱えたのがジェーン・ジェイコブスでした。実際に、彼女の名著『アメリカ大都市の死と生』における主張は、当時の常識を根本から覆すものでした。

「一見して無秩序に見える都市の景観の下には、奇妙で、しかし驚くほど強固な秩序が横たわっている。それは都市の安全と自由を維持するための、複雑に入り組んだ『混在』の秩序である」

「きれいな街」が抱える致命的なリスク

さらに、彼女は次のように分析しました。機能が純化された「きれいな街」は、特定の時間帯に無人化してしまいます。その結果、住民の目が届かなくなり、犯罪の温床になると警鐘を鳴らしたのです。

対して、用途が混在する街はどうでしょうか。そこでは昼夜を問わず人が行き交います。したがって、自然な監視(ストリート・アイズ)が機能する「生きた街」になると説きました。つまり、一見カオスに見える雑多な通りこそが、最も安全な場所だという逆説を唱えたのです。

活力を生む「4つの条件」と日本の親和性

その上でジェイコブスは、都市が活力を持ち続けるために必要な条件として、以下の4つを挙げました。驚くべきことに、これらは現代の日本の都市構造そのものを言い当てているように見えます。

ジェイコブスの条件 その意味と効果 日本の都市での現れ方
① 用途の混在
(Mixed Primary Uses)
住居、商業、業務など2つ以上の機能が必要。異なる時間帯に人を呼び込む。 コンビニ、マンション、オフィスが同じブロックに共存する日常風景。
② 小さな街区
(Small Blocks)
街区が短いと角地が増え、歩行者のルート選択肢が増える。回遊性が高まる。 江戸時代の町割りに由来する、細い路地や裏道が網の目のように広がる構造。
③ 古い建物の保存
(Aged Buildings)
家賃の安い古い建物は、実験的な店や低収益な文化施設の受け皿になる。 リノベーションカフェや古民家オフィス。築年数による家賃の多様なグラデーション。
④ 集中の必要性
(Concentration)
ある程度の人口・建物密度がないと、多様性は維持できない。 狭小住宅やペンシルビルによる、世界屈指の高密度居住エリア。

このように、ジェイコブスが理想とした「多様性」は、計画的に作ろうとして簡単に作れるものではありません。しかし、日本の都市はなぜか、自然発生的にこの条件を満たしてしまっています。実は、その秘密こそが、次章で解説する独自の法制度にあるのです。

2. 比較解剖:日米のゾーニング構造の決定的な違い

世界には大きく分けて2つのゾーニング(土地利用規制)の考え方があります。一つは欧米の「排他的ゾーニング」、もう一つは日本の「累積的ゾーニング」です。この違いを理解することなしに、日本の街並みは語れません。

欧米型と日本型の対照的なアプローチ

両者のアプローチは根本的に異なります。まずは、以下の比較図をご覧ください。

欧米型:ユークリッド・ゾーニング

【原則:純化と排除】
1926年の米最高裁判決に由来します。土地をパズルのように切り分け、「ここでは住宅以外は一切禁止」と厳格に定めます。

住居専用地域

他用途の混入禁止

商店 ×
工場 ×

【結果】
静環境は守られますが、ちょっとした買い物にも車が必要になります。その結果、「スプロール現象(都市の無秩序な拡大)」と、コミュニティの希薄化を招きました。

日本型:累積的ゾーニング

【原則:包含と許容】
「最も迷惑度の低い用途(住宅)」をベースに、段階的に用途を積み上げていく方式です。つまり、下位の用途地域でも、上位の用途(住宅)が建設可能です。

商業地域
↑ 準住居地域
↑ 住居専用地域

※全部建ててOK!

【結果】
商業地域にもマンションが建ち、準工業地域にも戸建てが建ちます。したがって、法が強制せずとも、市場原理によって自然と「職住近接」が実現します。

なぜ日本は「緩い」のか? 1919年からの歴史

日本のゾーニングがこれほど寛容なのは、歴史的な必然性があります。具体的には、1919年(大正8年)に最初の都市計画法が制定された際、日本の都市にはすでに、長屋における「職住一体」の生活様式や、家内制手工業が根付いていました。

もし当時、欧米のような厳格な分離を行っていたらどうなっていたでしょうか。おそらく、日本の経済活動は停止していたでしょう。ゆえに、この「現状追認」のリアリズムこそが、日本の累積的ゾーニングのDNAとなりました。そして、戦後の高度経済成長期においても、急速な都市化を柔軟に受け入れる器として機能したのです。

3. 洞爺湖町の挑戦:景観を「上書き保存」する

「何でも建てられる」が生む弊害

しかしながら、物事には必ず裏面があります。日本の「何でも建てられる自由」は、観光地においては「景観破壊のリスク」と同義だからです。例えば、美しい湖畔に無機質な看板が乱立すれば、観光資源としての価値は失墜します。

北海道・洞爺湖町。美しいカルデラ湖と有珠山、羊蹄山を望むこの国際的な観光地は、現在、日本の緩やかなゾーニング制度の弱点を補うために、非常に高度な法的テクニックを駆使しています。それが、都市計画法の上に、自治体独自の規制を被せる「オーバーレイ(上書き)」戦略です。

図解:洞爺湖町の「多層的規制」構造

第3階層
景観計画(自治体独自) 色彩・デザイン・高さの厳格化
第2階層
準都市計画区域(北海道) 大自然エリアへの開発ブレーキ
第1階層
国の用途地域(都市計画法) 緩やかなベースライン(混在許容)

色彩を数値で縛る「マンセル値」の導入

洞爺湖町の景観計画において最も特徴的なのが、徹底した「色彩コントロール」です。なぜなら、「派手な色はダメ」という主観的な基準では、事業者とのトラブルになるからです。そこで導入されたのが、色を数値化する「マンセル値」による規制です。

例えば、全国チェーンのコンビニエンスストアやガソリンスタンドであっても、ここでは例外ではありません。具体的には、以下のような厳しい基準が適用されます。

対象部位 規制内容(マンセル値基準) 実際の変化
外壁の
「赤・黄」系
彩度(鮮やかさ)を
6以下に抑えること
あの鮮やかな赤やオレンジの看板が、落ち着いた「茶色(レンガ色)」に変わります。
外壁の
「青・緑」系
彩度を
4以下に抑えること
自然界(湖や森)の色と競合しないよう、さらに厳しく「くすんだ色」が求められます。
屋根 明度(明るさ)を抑える 雪景色の中で浮かないよう、「暗いグレー」や「焦げ茶」に統一されます。

このように、「何をするか(用途)」については日本の法制度のメリットである自由度を残します。一方で、「どう見えるか(形態)」についてはローカルなルールで厳格に縛る。結論として、これが洞爺湖町が見出した最適解なのです。

4. 空き家再生と「200㎡の壁」

ジェイコブスが愛した「古い建物」の現代的課題

ジェイコブスはかつて「古い建物が必要だ」と説きました。なぜなら、新築ビルは家賃が高く、ナショナルチェーンしか入れませんが、古い建物は若者の挑戦や小さなビジネスを受け入れられるからです。

日本の地方都市には、まさにこの資源(空き家・空き店舗)が溢れています。しかし、ここにも法的な壁が存在します。それが、建築基準法における「用途変更」のハードルです。

実録:カフェを開きたい若者の壁

【ケース】
かつての温泉旅館(300㎡)を買い取り、1階をカフェ、2階をゲストハウスにリノベーションしたい。

【法律の壁】
「住宅」や「旅館」から「飲食店」などに用途を変える際、その面積が200㎡を超えると、建築確認申請が必要になります。

【何が起きるか?】
確認申請を出すには、建物全体を「現行の建築基準法」に適合させなければなりません。しかし、昭和の建物が現行の耐震・防火基準を満たしていることは稀です。結果として、数千万円規模の改修工事が必要となり、事業は頓挫してしまいます。

この「200㎡の壁(かつては100㎡でしたが、2019年に緩和されました)」は、依然として地方のリノベーションまちづくりにおける最大の障壁です。したがって、洞爺湖町のような地域が活性化するためには、このハードルに対し、行政がいかに「用途の一部変更」や「区画の工夫」で柔軟に対応できるかが問われているのです。


結論:ゾーニングは「制限」ではなく「創造の器」である

ジェーン・ジェイコブスが夢見た「多様性に満ちた都市」。実は、それは皮肉にも、彼女が批判した近代都市計画の対極にある、日本の「緩やかなカオス」の中に息づいていました。

日本のゾーニングは、決して無計画なものではありません。むしろ、それは時代の変化や住民の営みを許容するためにあえて作られた、「懐の深い器」なのです。

洞爺湖町の挑戦が私たちに教えてくれるのは、この国の制度が持つ「寛容さ(ナショナル・スタンダード)」と、地域が守りたい「美意識(ローカル・ルール)」は、決して対立するものではないということです。それどころか、その二つを巧みに重ね合わせる(オーバーレイする)ことで、世界中どこにもない、秩序ある賑わいを作り出すことができる。

次にあなたが旅先で、ふと美しい街並みや、不思議な路地の賑わいに出会ったとき。そこには必ず、自由と規制の狭間で知恵を絞った、先人たちの「線引き」のドラマが隠されているはずです。


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