〜「視線の権力」を可視化した巨大な都市実験〜
※本記事は2026年1月時点の公式資料および歴史的文献を基に構成しています。
「都市はコミュニティの『権力と文化の最大の集中点』である」――マンフォードがそう述べたように(The Culture of Cities, 1938)、私たちの住む街の形には、建設当時の統治のあり方が反映されます。
フランス・パリから西へ約20キロメートル。そこに広がるベルサイユ宮殿は、単なる豪華絢爛な王の居城や観光地ではありません。それは17世紀後半、絶対王政の絶頂期にあった太陽王ルイ14世が、国土と自然、そして人々を完全に統御するために築き上げた、極めて高度かつ冷徹な「都市計画の実験場」でした。
とりわけ、宮殿の「王の寝室」を中心点として、地平線の彼方へと放射状に伸びる三本の巨大な並木道は、現代の私たちが暮らす都市の骨格――アメリカの首都ワシントンD.C.の街路や、あるいは北海道・札幌の大通公園――にまで、その遺伝子を色濃く残しています。
そもそも、なぜ権力者たちはこれほどまでに「真っ直ぐな道」を求めたのでしょうか。そして、その古典的な手法は、人口減少と環境共生が叫ばれる現代日本の地方都市において、どのような意味を持ちうるのでしょうか。
本稿では、ベルサイユという巨大なインフラストラクチャーを解剖し、北海道・洞爺湖町のまちづくりへと至る、時空を超えた都市デザインの系譜を紐解きます。
1. 絶対王政の視線:権力を可視化する「無限」の軸線
天才ル・ノートルが描いた「見ること」による支配
17世紀のフランスにおいて、ベルサイユの地で繰り広げられたのは、広大な湿地帯を埋め立て、森を切り開き、自然を幾何学的に征服するという壮大なプロジェクトでした。その中心にいた人物こそが、造園家アンドレ・ル・ノートル(André Le Nôtre)です。
画家シモン・ヴーエのアトリエで遠近法と光学を学んだル・ノートルは、庭園を単なる鑑賞の対象から、空間を支配する「政治的な装置」へと昇華させました。彼が設計において最も重要視したのは、紛れもなく「軸(Axis)」の概念です。
具体的には、宮殿の「王の寝室」を中心点とし、西の庭園側には大運河(Grand Canal)を通して「無限」へと続くパースペクティブ(透視図法)を創出しました。そして、その幾何学的秩序を東側の「街(Ville)」の方角へと反転させ、都市空間へも適用したのです。
すなわち、宮殿を消失点として放射状に広がる道路網は、王の居城があらゆる動線の起点であり、同時に終点であることを象徴しています。ここでは、「見る主体(王)」と「見られる客体(臣民・国土)」の関係が、道路という物理的なインフラを通じて固定化されました。王は一歩も動くことなく、放射状の道を通して国土の隅々にまで視線を及ぼすことができる――これこそが、バロック都市計画が目指した視覚的支配の極致だったのです。
▼【地図】ベルサイユ宮殿と東へ伸びる3本の放射状道路(トライデント)
「トライデント(三叉槍)」の機能的解剖
これら三本の巨大な並木道は、その形状から「ガチョウの足(Patte d’oie)」、あるいは海の神ポセイドンの武器になぞらえて「トライデント(三叉槍)」と呼ばれます。
これらが収束する宮殿前の「アルム広場(Place d’Armes)」は、単なる交通の交差点ではありません。フランス全土の三方向からの人、物、情報の流れを、巨大な漏斗(ファンネル)のように宮殿の「名誉の中庭」へと吸い上げるシステムとして機能していました。
| 大通りの名称 | 主要機能と役割 | 空間的特徴・データ |
|---|---|---|
| パリ大通り (Avenue de Paris) |
王の居城と首都パリ(ルーヴル宮)を物理的に直結する、最も象徴的な「王の道」。現在は県道D910号線として機能。 | 幅員約97m(318フィート)。 中央車道、側道、遊歩道からなる複合断面を持ち、ニレの四重並木が植えられていた。 |
| サン=クルー大通り (Av. de Saint-Cloud) |
北部およびノルマンディー方面へのアクセス。大厩舎(Grande Écurie)の北側境界を形成する。 | 都市北部(ノートルダム地区)の骨格。幅員は約70m前後で構成される。 |
| ソー大通り (Avenue de Sceaux) |
南部方面へのアクセスおよび、サトリ(Satory)等の軍事エリアへの主要連絡路。 | 小厩舎(Petite Écurie)の南側境界を形成。財務総監コルベールの居城があったソー方面へ続く。 |
1671年の都市計画勅令:現代ゾーニングの起源
さらに特筆すべきは、これら巨大なインフラストラクチャーの周辺において、極めて厳格な「ゾーニング(用途地域制)」が敷かれていたという事実です。
1671年、ルイ14世は、貴族や市民に対して建築基準を遵守することを条件に土地を無償で分譲するという画期的な勅令を出しました。この勅令には、現代の都市計画にも通じる以下のような規制が含まれていました。
- 高さ制限(スカイラインの統一):
建物の高さは、宮殿の「大理石の中庭」の地盤面を超えてはならないと定められました。これにより、宮殿が常に都市景観の頂点に立つことが物理的に保証されたのです。 - ファサードの統一:
道路に面する建物の外観は、石材やレンガの使用、屋根の勾配などが統一され、都市全体が宮殿の一部であるかのような調和を生み出しました。
これにより、大通り沿いには高位の貴族の邸宅(オテル)が整然と配置され、その背後の街区に町人や職人の住居、市場が計画的に配置されるという、威厳と生活機能が共存する「王宮都市」が誕生しました。これは、現代の「建築協定」や「地区計画」の先駆けと言えるでしょう。
2. 世界へ波及する「軸」のDNA:ワシントンから札幌へ
ベルサイユで確立された「バロック・トライデント」のモデルは、その圧倒的な視覚効果と権力の象徴性ゆえに、瞬く間に世界中の都市計画へと模倣されていきました。
主要都市におけるメインストリート幅員の比較
ベルサイユのスケールがいかに規格外であったか、現代の主要な通りと比較してみましょう。
【図解】世界の主要街路の幅員比較(概算値)
※各数値は代表的な箇所の概算幅員です。
ワシントンD.C.
アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.の都市計画を行ったピエール・シャルル・ランファンは、フランスで育ち、ベルサイユの庭園文化に精通していた人物でした。
ランファンの計画の特徴は、ベルサイユ的な放射状道路(アベニュー)を、実用的な直交グリッド(ストリート)の上に「重ね合わせる」という手法を採用した点にあります。
ペンシルベニア大通り(幅員約49メートル)は、議会議事堂と大統領官邸(ホワイトハウス)という二つの民主主義機関を結ぶ象徴的な軸線として機能しています。
ここでは、「王」の視線ではなく、「国民の代表機関」同士を視覚的に結びつけることで、バロック都市の文法を共和国の象徴へと鮮やかに転換させたのです。
札幌・大通公園
日本においても、西洋の都市計画の影響を受けた興味深い事例が存在します。それが明治期に計画された札幌です。
札幌の都市中心部を東西に貫く「大通公園」は、幅105メートルというベルサイユのパリ大通りをも凌ぐ圧倒的なスケールを持っています。これは当初、都市火災の延焼を防ぐための「火防線」として設けられた空地でした。
しかし現在では、さっぽろテレビ塔をアイストップ(焦点)とするモニュメンタルな景観軸へと進化し、イサム・ノグチによるモエレ沼公園のデザインとも呼応することで、北海道独自の雄大なスケール感を受け止める、アジアでも稀有な都市軸として機能しています。
▼【地図】ワシントンD.C.における放射状道路とグリッドの融合
放射状道路システムの功罪:現代都市における評価
ベルサイユに端を発する「放射状道路」というシステムは、その美学的な完成度の一方で、現代の都市機能において明確な利点と深刻な課題の両方を抱えています。
【メリット:圧倒的な象徴性と求心性】
最大の利点は、都市構造の「わかりやすさ」です。主要な通りに出れば常に中心(宮殿、議事堂、広場など)の方角を視認できるため、住民や来訪者は直感的に現在地を把握できます(Wayfindingの向上)。
また、長い直線道路の先に美しい建造物を配置する「ヴィスタ(眺望景観)」の効果は、都市そのものを一つの芸術作品へと昇華させ、強力な都市ブランドと観光資源を形成します。
【デメリット:交通の輻輳と歩行者の分断】
一方で、すべての道が一点(中心)に集中する構造は、現代の自動車社会において致命的なボトルネックとなり得ます。ベルサイユのアルム広場やパリの凱旋門広場では、複数の大通りから流入する車両が交錯し、慢性的な渋滞と複雑な合流が発生します。
さらに、放射状道路と直交グリッドが鋭角に交差する場所では、土地の形状が三角形などの不整形地(フラットアイアン型)になりやすく、土地利用の効率性を低下させる要因となります。
3. 北海道・洞爺湖町への視座:景観を資源とするまちづくり
さて、ここまでは欧米の大都市を中心に見てきましたが、この「軸線」と「景観制御」の概念は、スケールや目的を変えて現代日本の地方都市、特に観光地においても極めて有効なツールとなり得ます。
ここでは、2008年のサミット開催地であり、景観まちづくりに注力する北海道・洞爺湖町の事例を詳細に分析します。
現代の「王」は誰か? 自然への畏敬とスカイライン
洞爺湖町は、人口減少と少子高齢化が進む中で、「持続可能なまちづくり」を掲げています。その都市計画マスタープランには、ベルサイユ的な構造論との興味深い類似と対比が見て取れます。
特筆すべきは、2009年(平成21年)に洞爺地域が「準都市計画区域」に指定されたことです。これは、都市計画区域外であっても無秩序な開発(スプロール現象)を防ぎ、北海道らしい優れた「田園景観」や「湖畔景観」を保全するための措置です。
ベルサイユでは、王の権威を守るために宮殿の高さを超えないよう建築規制が敷かれました。では、現代の洞爺湖における「宮殿(絶対的な中心)」とは何でしょうか?
それは間違いなく「羊蹄山」であり、「中島(湖)」であり、圧倒的な「カルデラの地形」そのものです。
景観計画における高さ制限(一般的にリゾート地区では13m〜20m以下など)や、色彩のガイドラインは、人工物が自然のスカイラインや稜線を突出して乱さないための配慮です。かつて王の権威を守るために使われた「高さの制御」という手法は、今、北海道のかけがえのない自然景観を守るための「作法」として受け継がれているのです。
▼【地図】洞爺湖温泉街と湖畔へ向かう動線
「光の軸線」としてのイルミネーションストリート
また、ベルサイユの庭園では、夜ごとの祝祭(Fêtes)で花火が打ち上げられ、光が闇の中に「軸」を浮かび上がらせました。この「光による空間演出」もまた、現代の洞爺湖町に見ることができます。
洞爺湖温泉街では、「イルミネーションストリート」や「イルミネーショントンネル」を展開しています。温泉街の中心部から湖畔へと続く約70メートル以上の通りを、約1万2千球のLEDで装飾するこの試みは、夜間において物理的な道路以上に強力な「光の軸線」を形成しています。
この光の道は、観光客の流動を市街地から自然と湖畔(花火の打ち上げ場所)へと誘導します。道路を単なる移動空間(Transport)から、ドラマティックな体験の場(Experience)へと転換させる――これは、350年前にル・ノートルが庭園で意図した「空間のドラマツルギー(演出法)」の、現代的かつ地域的な実践に他なりません。
結論:歴史的「軸線」を、未来のサステナビリティへ
ベルサイユ宮殿から始まった「都市機能を伴う放射状道路」の歴史は、権力の可視化という政治的動機から始まり、産業革命後の交通効率化を経て、現代では「生活の質(QOL)」と「環境との調和」を重視するフェーズへと移行しています。
実際、ベルサイユの延長線上にあるパリ・シャンゼリゼ通りでは、現在、2030年に向けて通りを「緑の回廊(Extraordinary Garden)」へと変貌させる劇的なプロジェクトが進行中です。車線を半減させ、歩行者空間と緑地帯を大幅に拡張し、土壌の透水性を回復させるこの計画は、「車のための軸線」から「人と自然のための軸線」への回帰を象徴しています。
洞爺湖町におけるシーニックバイウェイや景観形成の取り組みも、規模こそ違えど、この世界的な都市計画の潮流の中に位置づけられます。都市計画とは、単に建物や道路を配置することではありません。そこに住む人々、そして訪れる人々の「視線」を導き、記憶に残る「体験」をデザインすることです。
350年前、バロックの巨匠ル・ノートルが描いた「無限」への眼差し。その精神は、形を変え、スケールを変え、私たちのまちの未来を照らす道標として、今も生き続けているのです。
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