〜外観だけを残す再開発は正解なのか?〜
※本記事は2026年3月時点の情報を基に構成しています。
「都市は、すべての人によって創られるからこそ、すべての人に何かを提供することができる(Cities have the capability of providing something for everybody, only because, and only when, they are created by everybody.)」――高名な都市計画家でありジャーナリストでもあったジェイン・ジェイコブズは、その著書の中で都市の多様性と、そこに息づく人々の営みの重要性をこのように説きました。
そもそも、現代の都市計画やまちづくりにおいて、「歴史的な街並みの保存(ハード)」と「そこに暮らす人々の生活の維持(ソフト)」をいかにして両立させるかという命題は、世界中の自治体が直面する極めて難易度の高い課題です。仮に古い建物を残そうとすれば、維持補修費が高騰し所有者の重荷となります。一方で、観光地化や商業化を過度に推し進めれば、瞬く間に地価や家賃が上昇し、元からその地域を支えてきた住民が追い出される「ジェントリフィケーション(高級化)」という悲劇が引き起こされます。しかしその逆に、経済効率のみを優先してスクラップ・アンド・ビルドの再開発を行えば、その土地固有の記憶やアイデンティティは、無機質なビル群の影へと永遠に消え去ってしまうのです。
しからば、私たちはどのような選択をすべきなのでしょうか。この複雑に絡み合うジレンマに対し、1970年代のイタリアで一つの明確かつ実践的な「解」が提示されました。それが、歴史的建造物の保全と、低所得者や労働者階級の居住権の保護を同時達成する反投機的モデル、通称「ボローニャ方式(統合的保全:Integrated Conservation)」です。本記事では、単なるファサード(外観)保存とは一線を画すこの画期的なアプローチの歴史的背景と現代の課題を深掘りします。さらに翻って、過疎や空き家問題に直面する日本の地方都市――とりわけ北海道・洞爺湖町などの事例――への応用可能性について、建築的アプローチと都市計画の両義的な視点から、多角的に考察してまいります。
1. ボローニャ方式の誕生:「記憶の集積」を投機から守る都市改革
高度経済成長の影と「保守的修復」という哲学
ボローニャ方式を、単なる「古い建物を愛でるノスタルジックな保護運動」と捉えるのは、極めて表層的な解釈と言わざるを得ません。一言で表現するならば、それは「都市を中心部の不動産市場における投機対象から意図的に切り離し、住民の生活空間(社会的権利)として再定義する、極めて緻密で戦略的なエコシステム設計」に他ならないからです。
時計の針を少し戻しましょう。第二次世界大戦後のイタリアでは、高度経済成長に伴い急速な都市化とスプロール化(無秩序な郊外拡大)が進行していました。歴史的中心市街地はグローバルな商業化の波に飲まれ、地代の急激な高騰によって、古くからその街を形成してきた労働者階級は郊外へと強制的に追いやられていました。1960年、この由々しき状況に強い危機感を抱いたボローニャ市政(当時のイタリア共産党政権)の下、1960年から1966年にかけて都市計画担当の助役(評議員: Assessore all’Urbanistica)を務めたジュゼッペ・カンポス・ヴェヌーティ(Giuseppe Campos Venuti)が、土地投機に真正面から対抗するための急進的な都市改革の礎を築きました。
彼らが採用した建築的手法は、建物の正面だけを綺麗に作り変えるような「外観の美装化(ファサード保存)」ではありませんでした。彼らは都市を、単一の有機的な「アーティファクト(記憶の集積)」として捉えました。すなわち、古い建造物の歴史的・形態的価値を厳密に維持しながらも、その内部の構造や設備を現代の生活水準や社会的要請に適応させる「保守的修復(Conservative restoration / Risanamento Conservativo)」という哲学を徹底したのです。
【参考マップ】ボローニャ歴史的中心市街地
※赤い屋根が連なる旧市街全体が、面的な保存計画の対象となりました。
協力な法的基盤の構築とPEEPの展開
さらに重要なのは、彼らが思想を語るだけでなく、強固な法制度を構築した点です。1962年の法律(いわゆる「国家法167号」)は、自治体が社会住宅等の目的で用地を確保しやすくする枠組みとなり、ボローニャ市はこの制度を梃子に、協同組合住宅と連動した住宅政策・土地政策を展開しました。その後、1969年7月21日の議会決議により、建築家ピエル・ルイジ・チェルヴェッラーティ(Pier Luigi Cervellati)らが主導する「歴史的中心市街地計画(Piano per il centro storico)」が採択されます。この計画では、市街地の建物を単体のモニュメントとして扱うのではなく、建築の「類型学(タイポロジー)」に基づいて介入カテゴリを階層化し、都市組織(urban organism)全体を保全する枠組みが完成しました。
とりわけ特筆すべきは、既存の社会住宅計画の枠組みを中心市街地へ拡張し、1973年3月7日に採択された「中心市街地PEEP(Piano per l’Edilizia Economica e Popolare)」です。市街地を構成する13のコンパルティ(機能的・形態的に一貫した区域)のうち5つを重点対象として選定し、中世から続く象徴的な「ポルティコ(回廊)」や中庭を市民のための半公共空間として維持しました。この社会住宅計画では、単なる住戸供給にとどまらず、緑地・保育・高齢者支援などの補完サービスを含む生活基盤をセットで整えることが重視され、歴史的景観の中で“元からの住民が住み続けられる条件”の確保が計画の要点となったのです。
2. 建築手法の比較:統合的保全 vs ファサード保存
ボローニャ方式が標榜する「統合的保全」は、しばしば他の都市再開発手法と混同されがちです。しかし、建築物の寿命をどう捉え、既存の構造躯体をどう評価するかという技術的・思想的観点において、両者は全く異なります。以下の表は、それぞれの開発手法の哲学と、具体的なアプローチの違いを明確に比較したものです。
| 比較要素 | 【ボローニャ方式】 統合的保全 (Integrated Conservation) |
【類似手法】 ファサード保存 (Facadism) |
|---|---|---|
| 根本的な目的 | 建物の歴史的形態の維持と、既存の低所得居住者の定住権・社会的権利の確保。 | 街並みの外観(美観)の維持と、最新設備導入による不動産経済価値の最大化。 |
| 対象の捉え方(スケール) | 都市全体を有機的な「記憶の集積」として捉え、区画全体を用いた面的・全体論的保存。 | 歴史的価値のある個別の建物や、特定の通りに面した「外観のみ」を点や線で捉える。 |
| 居住者への影響 | 土地収用や協同組合化(脱商品化)により不動産市場から切り離し、住民の追い出しを法的に防ぐ。 | 内部は高級マンションや商業施設に改築されるため、地代・家賃上昇により元住民は追い出される。 |
| 建築手法の要点 | 類型学に基づく厳密な「保守的修復(空間の現代的機能への適応)」を行い、既存構造のポテンシャルを活かす。 | ファサード(正面壁)のみを残し、内部構造は完全に破壊して最新鋭の設備を新築する。 |
このように、建築の専門的見地から見ても、ボローニャ方式は単なる表面上の化粧直しではなく、建物の基礎構造や空間構成(間取りの骨格など)が持つ文化的意味を尊重し、それを現代の居住インフラへとシームレスに接続する高度な取り組みであることがわかります。
3. 統合的保全がもたらす「光と影」、そして現代の危機
ボローニャ方式は、都市の「資本の最大化」と「関係性のデザイン」において極めて優れたバランスを持つモデルですが、その運用においては強烈なトレードオフも存在します。ここでは、推進派と反対派、それぞれの視点からメリットとデメリットを明確に整理します。
持続可能性と包摂性の担保
第一の功績は、歴史的・文化的アイデンティティの有機的・面的な継承です。この手法により、中世から続くポルティコ(回廊)は生きた都市空間として存続し、2021年には「ボローニャのポルティコ群」としてユネスコ世界遺産にも登録されました。
第二に、資本主義的スプロール化の抑制です。無秩序な郊外開発を防ぎ、既存インフラ(上下水道、道路網など)を再利用するアプローチは、現代のSDGsやコンパクトシティ政策の先駆けとなる環境的・経済的メリットを持ちます。
第三に、社会的包摂とソーシャル・キャピタルの保全です。「脱商品化」により低所得者の定住権を保障した結果、長年培われた近隣ネットワークが保護され、都市のレジリエンス(回復力)が飛躍的に強化されました。
莫大なコストと機能的硬直化
一方で最大の懸念は、膨大かつ継続的な公的財政負担です。既存住宅を現代の基準(耐震性、断熱性、衛生設備など)に引き上げる「保守的修復」には、詳細な建物の状況調査が必要であり、新築以上の高度な技術とコストが要求されます。これを維持することは自治体の財政を著しく圧迫します。
また、厳格な規制による機能的硬直化も指摘されます。建物の用途や形態に対するルールが厳しいため、民間不動産の自由な経済活動が制限され、商業的ニーズの変化に柔軟に対応できない恐れがあります。
そして近年、最も深刻なのがプラットフォーム経済下での「第2のジェントリフィケーション」です。この美しい街並みが、皮肉にもグローバル資本の投機対象となってしまったのです。
現代の新たな脅威:オーバーツーリズムと「住宅危機」
かつて不動産デベロッパーの過剰な開発から労働者を守ったボローニャの街並みですが、現在はAirbnbなどに代表される短期賃貸プラットフォーム(STR: Short-Term Rentals)の台頭により、「ディズニーフィケーション」と呼ばれる新たな次元の危機に瀕しています。
公的資金を投じて保全された「本物の歴史的空間」は、短期旅行者にとって極めて魅力的なコンテンツとなります。家主が、長期居住者から得る安定した家賃よりも、短期旅行者から得られる高利回りを優先した結果、居住用の住宅ストックが激減しました。
【概念グラフ:短期宿泊施設の増加がもたらす居住空間の圧迫】
※青色=長期居住用、赤色=短期旅行者用。
欧州議会の分析資料等の実証分析(2017〜2019年データ)によれば、ボローニャにおける短期賃貸の密集度と家賃価格には有意な正の相関が報告されています。
この結果、ボローニャ大学の学生をはじめとする若年層や地方出身者が住宅を見つけられない深刻な「住宅危機(Housing Crisis)」が社会問題化しています。学生向け賃貸市場への圧迫など、不動産市場における社会経済的脆弱性との関係も学術的に指摘されており、観光客向けに都市機能が最適化され居住者との間に摩擦が生じるこの現象は、保全された歴史的市街地が抱える現代最大のパラドックスと言えるでしょう。
4. 日本の地方都市への応用:北海道・洞爺湖町の視座から
さて、ここまではイタリアの事例を見てきましたが、このボローニャ方式の根底に流れる理念は、海を越えた日本の地方自治体、とりわけ過疎化や深刻な空き家問題に直面する地域においても、極めて重要な示唆を与えてくれます。ここでは、ユネスコ世界ジオパークに認定される稀有な自然景観を有し、令和3年(2021年)6月に景観行政団体へ移行して「洞爺湖町景観計画」を策定した北海道・洞爺湖町周辺地域を一つのモデルケースとして、その可能性と課題を検証してみましょう。
【参考マップ】北海道 洞爺湖町
※美しい湖畔の景観と、開拓時代の歴史的遺産が共存するエリアです。
「投機的追い出し」ではなく「人口自然減」による景観の崩壊
まず前提として認識すべきは、1960年代のイタリアと現代の日本の地方都市では、直面している課題の「根本原因」が真逆であるという事実です。ボローニャが「資本の集中と投機による住民の追い出し」と闘ったのに対し、北海道をはじめとする日本の多くの地域は「少子高齢化・過疎化による住民の自然減と流出」という静かなる危機に直面しています。
人が住まなくなることで適切な維持管理が行われない空き家や廃屋が急増します。北海道には、開拓期を象徴するサイロやフランス積みブロック、マンサード屋根の建築群、漁業番屋など、固有の歴史的建造物が数多く点在していますが、これらが厳しい自然環境下で老朽化し、結果として地域の美しい景観や治安そのものを脅かす要因となっているのです。
建築的評価に基づく「ハード」と移住促進の「ソフト」の統合
このような状況下において、単に「景観を守るから建物を壊すな」という条例(ルール)を制定するだけでは問題は解決しません。建物の基礎や構造の健全性を評価する「既存住宅状況調査(インスペクション)」などを適切に実施し、建物のコンディションを客観的に把握した上で、現代のニーズに合わせて安全に修復・活用していく建築的・土木的アプローチが不可欠です。
同時に、そこにいかにして「新たな移住者や長期滞在者」を呼び込むかというソフト面の充実が問われます。例えば、歴史的廃屋を構造的に補強し、現代の多様な働き方に対応したサテライトオフィスや、都市部からの移住者を対象とした長期滞在型施設として活用する試みは注目に値します。「入る人を増やす」ための拠点とするような独自のアプローチは、まさに現代日本版の「ボローニャ方式」と言えるかもしれません。建物の外側を保存するだけでなく、その内部に新たな「関係性」と「生業」をデザインし、持続可能なエコシステムを回す仕組みこそが必要なのです。
5. これからの都市計画:HULとハイブリッド型規制の展望
国際的な歴史的市街地の保全においては、ユネスコが2011年に採択した「歴史的都市景観(HUL: Historic Urban Landscape)」勧告が、都市開発と遺産保全を統合的に扱う追加ツールとして位置づけられています。これは、点在するモニュメントの保存から、都市を自然環境や社会経済活動を含めた「有機的な総体」として捉えるというボローニャ方式の思想とも呼応するものです。世界的な気候変動リスクへの対応を見据え、建物のエネルギー効率向上やインフラの耐災害性強化を含む、「包括的かつ弾力的な保全(レジリエンス)」が都市計画の中核テーマとして求められています。
観光と居住の厳密な分離・共存を目指して
さらに、Airbnb等がもたらす「第2のジェントリフィケーション」に立ち向かうため、世界中の都市で「ハイブリッド型の法規制」の議論が進んでいます。一部のプラットフォーム事業者の主張や市場分析によれば、短期賃貸(STR)を単に厳格に禁止するだけでは、宿泊需要が既存のホテル側に集中して価格高騰を招き、特定の地域に観光客が過度に集中する弊害を生み出す可能性も指摘されています(※価格上昇の程度や因果関係は都市ごとに慎重な検証が必要です)。
したがって、観光需要に応えるためのホテルやSTRの総量規制・ゾーニング(用途地域指定)と、地元住民のための適正家賃維持(家賃統制、公的補助、協同組合住宅の拡充)を精緻に組み合わせた政策が求められます。地域全体への適切な需要分散と、居住区の法的な聖域化(脱商品化)をセットで行う、高度な政策チューニングが不可避の時代となっているのです。
結論:「建物」を標本にするのではなく、「人々の営み」のエコシステムを守る設計を。
1970年代にボローニャが確立した「統合的保全」の歴史が、現代の日本、そして地方自治体に突きつける最大の教訓は、都市空間を単なる美しい「博物館(ハコモノ)」にしてはならないという一点に尽きます。
いかに立派な景観条例を整備し、古い建物の外観を美しく保ち得たとしても、そこで日々の暮らしを営み、文化を育む「地域住民」が経済的圧力(不動産投機や過剰な観光化)、あるいは過疎によるインフラの崩壊によって排除されてしまえば、その街の魂は完全に失われます。そして長期的には、その街が本来持っていた真正性(Authenticity)の喪失により、観光資源としての魅力すら枯渇してしまうのです。
私たちが景観条例や歴史的建築物の補助金制度、あるいは空き家対策を立案する際、「誰のための保存か」を根本から問い直す必要があります。建物の改修費用を補助して「外側」を整えるだけでなく、改修後の建物の用途を「地域住民の居住」や「生業の継続」に法的に縛るスキームや、不動産投機を防ぐための土地信託・協同組合的アプローチなど、ハード(建造物の構造的安全性)とソフト(住民の生活権)を両輪で回す「防波堤」の構築をセットで検討すべきです。過疎と空き家問題に悩む北海道・洞爺湖町のような地域においても、単なる景観維持の枠を超え、「そこに住み続けられる仕組み」を内包した、日本型の新たな統合的保全モデルの構築が急務となっています。
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