地下鉄と連動した「ABCモデル」はいかにして生まれ、現代の課題とどう向き合っているのか


※本記事は2026年2月時点の情報を基に構成しています。

「都市は、ただ住宅を並べただけの場所であってはならない。そこには、市民の誇りと、文化的な魂が宿らなければならない」

これは、20世紀の都市計画に多大な影響を与えた思想家たちの共通認識であり、戦後スウェーデンの復興を牽引した建築家たちの悲願でもありました。

1954年11月14日、スウェーデンの首都ストックホルムの西郊約10キロメートルにあるヴェリングビー(Vällingby)で、歴史的な式典が執り行われました。当時の首相タゲ・エルランデル(Tage Erlander)によって公式に「開かれた」この街には、約10万人もの人々が詰めかけたと記録されています。

彼らが目撃したのは、単なる郊外住宅地(ベッドタウン)ではありませんでした。地下鉄駅を中心に、職場、住居、そして劇場や図書館といった文化施設が一体となった、完全なる「自立都市」の姿だったのです。

あれから70余年。日本のニュータウンが急速な高齢化とオールドタウン化に苦しむ一方で、なぜヴェリングビーは今なお「住みたい街」としての地位を維持し、再生を遂げることができたのでしょうか。そして、その知見は、人口減少と厳しい冬に向き合う北海道の地方都市に、どのような希望の光を投げかけるのでしょうか。

本稿では、都市計画史の金字塔とされる「ABCモデル」の深層を解剖し、現代日本の「縮充(Shrinking Smart)」への具体的な道筋を探ります。

1. 歴史的必然性:1952年総合計画と「真珠の首飾り」

スウェン・マルケリウスと分散型成長

1940年代後半、第二次世界大戦の戦火を免れたスウェーデンでは、中立国としての産業発展と急激な都市化が進んでいました。ストックホルム中心部(ノルマルム地区)の過密は限界に達し、住宅不足は深刻な社会問題となっていました。

当時の都市計画局長であったスウェン・マルケリウス(Sven Markelius)は、CIAM(近代建築国際会議)の潮流を汲みつつも、単なる高層化ではない、スウェーデンの社会構造に適した成長モデルを模索しました。彼は都心部の再開発に関わりながら、郊外においては地下鉄と地域拠点を同期させる「分散型の成長」を制度設計として強く推進しました。

地下鉄こそが都市の背骨である

その回答が、1952年に策定された伝説的なマスタープラン「1952年ストックホルム総合計画(General Plan of 1952)」です。

この計画の白眉は、都市開発と交通インフラの「完全な同期」にありました。具体的には、都心から放射状に伸びる地下鉄(Tunnelbana)網を建設し、その駅ごとに、緑地帯で区切られた自立したコミュニティ(衛星都市)を配置する。地図上で見ると、まるで緑の糸で繋がれた宝石のように見えることから、この構想は「真珠の首飾り(Pärlbandet)」と呼ばれました。

特筆すべきは、その順序です。ヴェリングビーでは入居開始(1952年)に先立って地下鉄が延伸し、当初は暫定駅として運用が開始されました。そして1954年に本格的な駅施設とセンターが完成し、公式開設を迎えたのです。「人が住む前に、まず鉄道を通す」。この鉄則が、その後の自動車依存を防ぐ決定打となりました。

▲ ストックホルム中心部から西へ約10km。地下鉄グリーンライン上に位置するヴェリングビー。

2. ABCモデルの全貌:職住近接の社会実験

ヴェリングビーを語る上で欠かせないのが、スウェーデン語の頭文字をとった「ABCモデル」です。これは単なる機能の羅列ではなく、当時の社会民主主義政権が目指した「万人のための福祉国家(Folkhemmet)」を具現化する装置でした。

A – Arbete(労働):寝に帰る街からの脱却

当時の郊外開発の常識は、都心へ通勤するための「ベッドタウン」を作ることでした。しかし、ヴェリングビーはこれに抗いました。
地域内での雇用確保を重視し、電力会社などのオフィス機能や、環境負荷の低い軽工業ゾーンを計画に組み込みました。これにより、朝のラッシュ時に都心へ向かう人だけでなく、ヴェリングビーへ働きに来る人(逆方向の通勤)を生み出し、交通負荷の分散とコミュニティへの帰属意識の醸成を図ったのです。

B – Bostad(住居):多様性を包摂する密度勾配

住居計画においては、画一的な団地の列挙を避け、「同心円状の密度勾配」が採用されました。

  • 駅徒歩圏:
    高層アパート(ポイントハウス)や中層集合住宅。独身者やカップル、高齢者が、車を使わずに生活できるよう配慮されています。
  • 外縁部:
    テラスハウスや低層集合住宅。子育て世帯向けに、庭や緑地との連続性が重視されました。

この配置により、ライフステージが変化しても(例えば子供が独立して夫婦二人になっても)、住み慣れた地域内で住み替えが可能となりました。

C – Centrum(中心):文化こそが市民を作る

ヴェリングビー・センター(Vällingby Centrum)は、単なるショッピングモールではありません。それは「屋根のない市民ホール」であり、コミュニティの核です。
図書館、映画館、教会、市民集会所、そして医療センターが駅前の広場を囲むように配置されました。特に市民文化施設である「Trappan」は、街開きから少し遅れて1956年に開館し、現在に至るまで地域の文化活動の拠点として機能しています。

3. データで比較する:ヴェリングビー vs 日本のニュータウン

ヴェリングビーの理念は、千里ニュータウンや多摩ニュータウンにも影響を与えましたが、その後の歩みは大きく異なります。何が明暗を分けたのか、具体的な比較軸で検証します。

※表は横にスクロールしてご覧ください

比較項目 ヴェリングビー(スウェーデン) 日本の一般的ニュータウン
土地支配権 【計画独占とリース制】
市が土地を保有し、開発業者に長期リース。半世紀後の再開発時も、市が強力なリーダーシップを発揮できる。
【分譲と私有化】
土地と建物が細分化して分譲されるため、権利関係が複雑化。老朽化しても建替合意が極めて困難。
交通インフラ 【地下鉄先行型】
入居時(1952)に暫定駅で運行開始し、1954年に駅舎完成。初期から「車なし生活」が定着した。
【鉄道後追い型】
入居から鉄道開通まで数年〜数十年かかる例が多く、その間に自家用車依存のライフスタイルが固定化。
都市構造 【フィンガー・プラン】
駅を中心とした高密度開発と、その裏手に広がる保存緑地(グリーンウェッジ)が指のように噛み合う。
【面的スプロール】
山を切り開き、面状に住宅地が広がる。駅から遠いエリアはバス依存となり、高齢者の移動困難地域化。
商業機能 【広域拠点化】
2000年代の再生で広域SC化に成功。周辺地域からも集客し、経済的自立を維持。
【近隣センターの衰退】
団地内の商店街はシャッター通り化し、郊外バイパス沿いの大型モールに客を奪われる。

交通分担率(モーダルシェア)の視覚的比較

以下のグラフは、ストックホルム地域と、日本の地方都市圏における移動手段の割合を比較したものです。

■ 移動手段の分担率比較(実績値)

※グラフは横にスクロールできます→

ストックホルム地域(2019年)
公共交通 30%
徒歩・自転車 28%
自動車 40%
日本の地方都市圏(2021年・平日)
公共+歩行 39%
自動車 61%

出典:Resvaneundersökning 2019 (Region Stockholm) / 全国都市交通特性調査 2021 (国交省)

ストックホルム地域全体で自動車分担率は40%に留まっており、特にヴェリングビーを含む西部(Västerort)では公共交通利用が39%に達するという調査結果もあります。これに対し、日本の地方都市圏(平日)では自動車利用が6割を超えており、都市構造が人々の移動手段を決定づけていることが浮き彫りになります。

4. 現代の挑戦:「ヴェリングビー・シティ」への再生と多文化共生

しかし、理想都市も老います。1990年代、ヴェリングビーは二つの大きな危機に直面しました。一つは施設の老朽化と商業的な陳腐化。もう一つは、移民の流入に伴う社会的な変化です。

歴史を守りながら、新しさを注入する

2000年代初頭、ストックホルム市の住宅公社は大規模な再生プロジェクトに着手しました。ここで特筆すべきは、「スクラップ・アンド・ビルド」を選ばなかったことです。
Trappan(文化施設)などの歴史的建造物(K-märkt)や、1950年代特有の景観要素を尊重しつつ修復。その上で、現代的なデザインのファッションビル「K:fem」を挿入しました。この新旧のコントラストは、古臭くなっていた街のイメージを「レトロ・フューチャー」な魅力へと転換させ、「ヴェリングビー・シティ」として広域から若者を呼び戻すことに成功しました。

見えない壁との戦い

一方で、解決が難しいのが「社会的な分断」です。ヴェリングビーを含むストックホルム西部は、多文化・多民族化が進んでいます。これは街に活力をもたらす反面、所得格差や失業率の差による居住地区の固定化(セグリゲーション)を生み出しています。
これに対し行政は、ハードウェアの整備だけでなく、広場でのイベント開催や、若者向けの就労支援センターの設置など、ソフト面での「統合(インテグレーション)」に注力しています。広場が、異なる背景を持つ人々が自然と交わる「社会的な結節点」として機能し続けられるかどうかが、今後の試金石となっています。

5. 提言:北海道・洞爺湖町における「雪国版ABCモデル」

最後に、この北欧の知恵を、私たちのフィールドである北海道洞爺湖町にどう応用するか。縮小社会における「攻めの都市計画」を提言します。

A(仕事):観光×生活のハイブリッド

大工場を誘致する時代は終わりました。洞爺湖における「A」は、観光産業と地域生活の融合です。
例えば、観光案内所に「住民用コワーキングスペース」や「農産物加工ラボ」を併設する。観光客向けの施設を、住民の働く場としても開放することで、季節変動に強い雇用の受け皿を作ります。

B(住居):除雪を武器にした集住

「ここに来れば雪かきが不要」という強烈なメリットを提示します。
機能が集積する中心エリアを重点除雪・ロードヒーティング区域とし、そこに高齢者向け住宅を誘導します。強制的な移転ではなく、冬の快適さをインセンティブにした、自然な「縮充(コンパクト化)」を推進します。

C(中心)×TOD:バス停の「駅」化プロジェクト

地下鉄のない洞爺湖町において、ヴェリングビーのTunnelbanaに代わるのは「高機能バスシステム」です。

現状の「寒空の下で待つバス停」を、「暖房・Wi-Fi・宅配ロッカー完備の待合ステーション」へと進化させるべきです。それは単なる停留所ではなく、地域住民が暖を取り、情報を交換する小さな「Centrum(中心)」となります。
バスを待つ時間が「苦痛」から「交流の時間」に変わる時、公共交通は地域の背骨としての機能を取り戻すはずです。


結論:都市は「意思」によって形作られる

ヴェリングビーの視察から私たちが持ち帰るべきは、洗練されたデザインの図面ではなく、その根底にある「どのような社会を次世代に残したいか」という強固な意思(Will)です。

スウェーデンの先人たちは、バラバラになりがちな「職・住・遊」を、地下鉄という一本の糸で結びつけました。人口減少と高齢化という厳しい冬の時代を迎える日本において、私たちに必要なのもまた、バラバラになった行政機能やコミュニティを、「縮充」というビジョンのもとに再統合する意思に他なりません。

洞爺湖町には、世界に誇る景観という舞台があります。そこに「歩いて暮らせる豊かさ」という脚本を加えることができれば、それは日本における新たな「ABCモデル」として、未来への道標となるでしょう。


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