トニー・ガルニエの思想の現代的再解釈


※本記事は2026年1月時点の情報を基に構成しています。

私たちが日々暮らしている日本の都市空間。そこには、「住む場所」「働く場所」「遊ぶ場所」がある一定のルールに基づいて配置されていることに気づくはずです。住宅街の真ん中に巨大な化学工場が突然建設されないのはなぜか。あるいは、駅前にはなぜ商業施設が集中するのか。

この、現代人にとっては空気のように当たり前となった「用途地域制(ゾーニング)」という都市計画の概念。これを近代都市計画の黎明期において、体系的かつ視覚的に明確な形で世界に提示した先駆者の一人が、フランスの建築家トニー・ガルニエ(Tony Garnier, 1869-1948)です。

彼が1917年に集大成として出版した『工業都市(Une Cité Industrielle)』は、単なる建築図面集ではありません。それは、産業革命以降の煤煙と喧騒にまみれた都市を救済するために描かれた、壮大な処方箋でした。「機能」を空間的に切り分けることで、人々の健康と産業の効率を同時に達成しようとした彼の試みは、その後の国際的な議論(CIAM等)を経て、現代日本の都市計画法の根幹にも影響を与えています。

しかしながら、時代は大きく移ろい、私たちは今、「機能分離の弊害」や「人口減少」という、ガルニエの時代とは異なる新たな課題に直面しています。本稿では、ガルニエの思想的背景とその革新性を改めて深掘りするとともに、北海道・洞爺湖町という具体的なフィールドを例に挙げ、これからの時代に求められる「ゾーニングの再解釈」と「持続可能なまちづくり」の未来図を、多角的な視点から紐解いていきます。

1. 近代都市計画の夜明け:「工業都市」が生まれた背景

19世紀末リヨンの「混沌」と「汚染」

まず、ガルニエの構想が生まれた時代背景を理解する必要があります。19世紀末、ヨーロッパは第二次産業革命の真っ只中にありました。とりわけ、ガルニエの故郷であり活動拠点でもあったフランス・リヨンは、絹織物産業から重化学工業へと産業構造が転換する過渡期にあり、急激な都市化が進んでいました。

当時の都市環境は、現代の私たちの想像を絶するほど劣悪なものでした。工場と労働者住宅が無秩序に混在し、空は工場の煙突から吐き出される煤煙で常に灰色に覆われていました。上下水道の整備も追いつかず、過密化したスラム街では結核やチフスといった感染症が蔓延し、労働者の平均寿命を著しく縮めていたのです。

ガルニエが活動の拠点とし、多くの作品を残したフランス・リヨン

アカデミズムへの反逆と「機能主義」の誕生

1899年、30歳のガルニエは建築界の登竜門である「ローマ賞(Prix de Rome)」を受賞し、ローマのヴィラ・メディチへの留学権を獲得します。通常、ローマ賞の受賞者は、古代ローマやギリシャの遺跡を実測・研究し、古典様式の修復案を作成することが義務付けられていました。

ところが、社会主義的な思想を持ち、労働者階級の出身であったガルニエは、過去の遺産を懐古することに異を唱えました。「建築家は、過去ではなく未来の社会のために貢献すべきだ」という信念のもと、彼はアカデミーの規則に反して、独自の理想都市の設計に着手したのです。1901年に最初の構想を発表し、その後も改良を重ね、1917年に出版された『工業都市』は、まさに彼のアカデミズムへの反逆と、未来への希望の結晶でした。

2. 「工業都市」の全貌:その革新的なスペック

ガルニエが描いた「工業都市」は、単なるスケッチではありません。それは、人口規模からインフラ、建材に至るまで詳細に計算された、実装可能なブループリントでした。 その主要な特徴を、3つのポイントで解説します。

① 明確なゾーニング(機能分離)

都市を「居住」「労働」「余暇」「交通」の4機能に分解し、地形を利用して物理的に分離しました。
居住区:風上の高台に配置し、新鮮な空気と日光を確保。
工業区:汚染源となるため、居住区とは緑地帯を挟んで風下の平野部に配置。
医療区:静寂な山腹に配置し、療養環境を最優先。

② 鉄筋コンクリートの全面的採用

当時としては画期的だった「鉄筋コンクリート構造」を、工場だけでなく、住宅や公共施設にも全面的に採用しました。
これにより、装飾を排したシンプルで衛生的なデザイン、規格化による建設コストの削減、そして大きな窓による採光の確保を実現しました。これはモダニズム建築の先駆けと言えます。

競合する理想都市モデルとの比較検証

ガルニエの計画の独自性をより際立たせるために、同時代の英国の社会改良家エベネザー・ハワードが提唱した「田園都市」、および後年のル・コルビュジエによる「輝く都市」との比較を行います。

比較項目 【T.ガルニエ】
工業都市 (1917)
【E.ハワード】
田園都市 (1898)
【ル・コルビュジエ】
輝く都市 (1930)
産業へのスタンス 肯定・推進
工業生産力を都市発展の基盤と捉え、効率化を追求。
抑制・調和
大都市の弊害から離脱し、農村との融合を目指す。
集中・管理
摩天楼による超高密度化でビジネス効率を最大化。
想定人口規模 約35,000人
中規模の地方中核都市を想定。
約32,000人
自律的なコミュニティ規模の上限。
300万人
巨大メトロポリスの再構築。
社会制度 社会主義的ユートピア。
(警察・裁判所・兵舎は不要として設置せず)
土地公有(トラスト)と協同組合的自治。 テクノクラート(技術官僚)による合理的管理。
現代への影響 用途地域制(ゾーニング)の概念を大規模に図面化。 ニュータウン開発やガーデンシティ運動へ発展。 高層ビル群と公開空地による再開発手法へ直結。

※上記の表は、各計画の理念的な特徴を比較したものです。実際の都市計画への適用には地域差があります。
※表は横スクロールで確認できます。

3. ゾーニングの功罪:日本における受容と変容

ガルニエが示した機能分離の思想は、1933年のCIAM(近代建築国際会議)の議論を経て、ル・コルビュジエが1943年に公刊した「アテネ憲章」において「機能的都市」として定式化され、戦後復興期の各国の都市計画に大きな影響を与えました。しかし、その受容のされ方は国によって大きく異なります。

「排他型」の米国 vs 「累積型」の日本

ゾーニングには大きく分けて2つのタイプが存在します。欧米、特に米国で一般的な「排他型(Euclidean Zoning)」と、日本が採用している「累積型(Cumulative Zoning)」です。

【図解】ゾーニングの厳格度イメージ

米国型 (排他的)
住宅専用地域では商業用途を原則禁止(厳格)
日本型 (累積的)
工業専用
住居系地域でも店舗併設が可能(柔軟)

※グラフは横スクロールで全体を確認できます。

日本のゾーニング制度(用途地域制)は、1968年の新都市計画法制定以降、世界でも稀に見る「緩やかさ」を維持してきました。上位の用途(例:住居)が下位の地域(例:準工業地域)でも建設可能な「累積方式」を採用したことで、住宅地の中にコンビニ、カフェ、診療所が自然に混在する「ミクストユース(職住近接)」が実現されたのです。

これにより、日本は欧米のような「インナーシティ問題(都心の空洞化)」をある程度回避できた一方で、市街地が無秩序に広がるスプロール現象や、景観コントロールの難しさといった別の課題も生み出しました。利便性と環境維持のバランスは、今なお日本の都市計画における主要な論点となっています。

4. 実践シミュレーション:北海道・洞爺湖町における「次世代ゾーニング」

では、ガルニエの「工業都市」の思想を、現代の日本の課題解決に応用するとどうなるでしょうか。ここでは、北海道の代表的な観光地でありながら、人口減少という深刻な課題を抱える「洞爺湖町」をモデルケースとして取り上げます。

地域課題のデータ分析:観光と定住のジレンマ

洞爺湖町は、風光明媚なカルデラ湖と温泉資源を持つ日本有数の観光地です。しかし、その足元では以下のような構造的な課題が進行しています。

  • 人口減少の加速:ガルニエの想定人口(35,000人)を大きく下回り、現在の人口は1万人を割り込んでいます。分散居住が進む集落では、インフラ維持コスト(除雪、水道、道路修繕)が財政を圧迫しています。
  • 観光公害(オーバーツーリズム)の懸念:温泉街エリアにおいて、観光客の増加に伴う騒音や交通渋滞が発生し、静かな生活環境を求める住民との間で軋轢が生じるリスクがあります。

提案:Compact Tourism City(コンパクト・ツーリズム・シティ)構想

ガルニエが工場と住宅を機能分離したアプローチを現代的に翻訳し、洞爺湖町に適用するシミュレーションを行います。

【Step 1】立体的ゾーニングの導入

湖畔エリアを「観光・交流特化ゾーン」、高台や内陸部を「定住・行政誘導ゾーン」として明確に機能分担します。
かつての「隔離」ではなく、居住誘導区域に住民を集約することで、行政サービスの効率化(除雪コストの削減など)を図ります。一方で、湖畔エリアは景観規制を強化し、世界基準のリゾート空間として付加価値を高めます。

【Step 2】エネルギーの地産地消

ガルニエは都市の全エネルギーを「水力発電」で賄う計画を立てました。
洞爺湖町においては、豊富な「温泉熱(地熱)」や冬期の「雪氷熱」がこれに該当します。地域熱供給システムを構築し、エネルギー代の町外流出を防ぐことで、経済循環を生み出す「自立型エネルギー都市」を目指します。

比較事例:苫小牧西部工業団地との対比

北海道内には、ガルニエの「工業都市」を巨大なスケールで具現化したような事例が存在します。それが苫小牧市です。同市は全体で約13,000haもの工業団地を有し、その中核をなす「苫小牧西部工業基地(約2,400ha)」は、港湾、鉄道、工場群が住宅地から完全に分離された、機能主義都市計画の極致と言えます。

しかし、洞爺湖町のような観光地に求められるのは、このような「ハードな分離」ではありません。

観光客の「賑わい」と住民の「静穏」を両立させる「ソフトなゾーニング」です。例えば、時間帯によって道路の用途を変える(昼はカフェテラス、夜は物流道路)、あるいはICT技術を活用して混雑状況を分散させるといった、動的で柔軟な管理手法こそが、現代版の「工業都市」には求められています。


結論:分離から「統合」への再設計

「真実のみが美しい」。これは、トニー・ガルニエを含む当時の合理主義的建築家たちが信奉した精神を表す言葉です。彼らにとっての真実とは、産業社会の現実を直視し、それを建築の力で解決することでした。

100年前、彼は煤煙から人々を守るために機能を「分離」しました。そして今、私たちは孤立や衰退から地域を守るために、一度分けた機能を高度な技術とデザインで再び「統合」するフェーズにあります。

デジタル技術とクリーンエネルギーの進展により、工場はもはや迷惑施設ではなくなりつつあります。3Dプリンターを備えた工房や、サーバーファームは、住宅地の中に溶け込むことができます。「職住近接」の新しい形です。

洞爺湖町、そして日本の地方都市が目指すべきは、既存の用途地域の枠線にとらわれることなく、「2060年にこの町で人々はどう幸せに暮らしているか」という理想像から逆算して、大胆に線を引き直すことです。その構想力と勇気こそが、ガルニエが現代の私たちに残した、最大の遺産であると言えるでしょう。


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