物理的な都市計画を超えた「関係性のデザイン」としての新たなまちづくり論


※本記事は2026年1月時点の情報を基に、歴史的文献および最新の都市計画データを参照し構成しています。

「新しい街路を開き、空気と日光の欠けた地区を衛生化し、人々に健康をもたらしたい」

1850年頃、フランス第二帝政の皇帝ナポレオン3世はこのように語り、都市改革への意欲を示しました。当時のパリは、私たちが現在イメージするような洗練された「光の都」ではありません。中世以来の迷宮のように入り組んだ狭い路地、産業革命による急激な人口流入、そして下水設備の欠如により汚物が溢れ、コレラが蔓延する「泥の都」でした。

この都市の危機に対し、国家権力による徹底的な外科手術――後に「パリ大改造(Travaux haussmanniens)」と呼ばれる巨大プロジェクト――を断行したのが、セーヌ県知事ジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンです。彼の指揮による破壊と創造は、近代都市の標準(スタンダード)を確立しましたが、同時に都市計画史において最も暴力的かつ権威主義的な事例として刻まれています。

そして時は流れて21世紀。現在のパリは、オスマンが築いた骨格をベースにしつつも、自動車中心の都市構造からの脱却を図っています。一方で、日本、特に北海道のような地方都市においては、人口減少と高齢化という全く異なる「病」に対し、新たな処方箋が求められています。

本稿では、19世紀のパリ大改造の冷徹なデータ分析から始まり、現代パリが進める「15分都市」構想、そして北海道・洞爺湖町における「まちづくり」の現場を接続します。物理的な「破壊」から社会的な「編集」へ。都市はどう変わるべきか、その未来地図を描き出します。

1. 「泥の都」への外科手術:オスマンによる破壊と創造の全貌

国家という名の解体屋

1853年から1870年にかけて行われたパリ大改造の本質は、都市という巨大な有機体に対する、史上最大規模の「人工的な再構築」でした。オスマン知事は「解体屋(The Demolisher)」の異名をとるほどの徹底ぶりで、シテ島を含む中世の旧市街を物理的に消滅させました。

なぜ、そこまで徹底的な破壊が必要だったのでしょうか。背景には、以下の複合的な要因が存在しました。

  • 衛生上の危機:1832年と1849年のコレラ大流行は、狭隘な街路と不衛生な環境が原因であると科学的に認識され始めていました。
  • 政治的・軍事的動機:迷路のような路地は、市民がバリケードを築くのに好都合であり、革命の温床となっていました。ナポレオン3世は、軍隊や砲兵が迅速に展開でき、かつ射線が通る直線的な大通りを希求したのです。
  • 経済的要請:鉄道網の発達によりパリへの流入人口と物資は激増していましたが、中世の道路網は流通のボトルネックとなり、資本主義経済の成長を阻害していました。

地図で見る「権力の幾何学」

以下の地図をご覧ください。エトワール凱旋門(現在のシャルル・ド・ゴール広場)を中心に、放射状に伸びる12本の大通りが見て取れます。これは自然発生的な街路ではなく、定規で引いたように計算された「権力の幾何学」です。

オスマンは、この改造のために巨額の資金を動かしました。当時の予算で25億フラン規模の投資が行われたとされています(現代貨幣への換算は諸説あり不確実です)。特筆すべきは、彼が「将来の地価上昇による税収増」を見込んで巨額の借金を重ねるという、現代のファイナンス手法(レバレッジ)を都市経営に持ち込んだ点です。

比較項目 パリ大改造 (19世紀) 現代パリ (21世紀)
基本理念 物理的拡張と効率化
(馬車交通・物流・軍隊のための直線道路)
生活の質の向上と環境適応
(歩行者と自転車のための空間再編)
インフラ整備 下水道を142kmから約4倍(約570km規模)へ拡張
(衛生の近代化・見えないインフラ)
路上駐車の約半分(最大6万台分)を転換
(脱炭素への転換・見えるインフラ)
資金とリスク 債務・会計処理をめぐる強い批判
(地価上昇益を見込んだ投機的開発)
既存ストックの活用と修正
(持続可能性重視の予算配分)

※表は横にスクロールしてご覧になれます

2. パラダイムシフト:拡張から「関係性のデザイン」へ

流動性から滞留性へ:15分都市の衝撃

オスマンが目指したのは、血液のように人や物がスムーズに流れる「循環(Circulation)」の都市でした。しかし、現代のパリ市長アンヌ・イダルゴが進めるのは、そのベクトルを180度転換させる政策です。

彼女が掲げる「15分都市(Ville du quart d’heure)」構想は、ソルボンヌ大学のカルロス・モレノ教授が提唱した概念に基づいています。これは、自宅から徒歩や自転車で15分以内に、職場、学校、医療、買い物、文化活動といった生活機能のすべてにアクセスできる都市構造を目指すものです。

具体的には、オスマンが広げた自動車のための道路(リヴォリ通りなど)で一般車両の通行を制限し(許可車両のみ通行可)、自転車専用レーンや広場へと作り変えています。かつて「効率」のために切り捨てられたコミュニティの文脈を紡ぎ直し、都市の評価軸を「どれだけ速く移動できるか(Speed)」から「どれだけ豊かに滞在できるか(Quality of Time)」へとシフトさせているのです。

データで見る「空間の再配分」

以下のグラフは、近年のパリにおける道路空間の配分変化のイメージです。20世紀に確立された自動車優先の空間が、急速に「人」へと開放されていることがわかります。

都市空間の占有率の変化(概念図)

20世紀(自動車社会化後)
自動車 (70%)
歩行者・緑地 (30%)
21世紀(15分都市構想)
自動車 (30%)
歩行者・自転車・緑地 (70%)

※路上駐車スペースの削減目標値などを基にしたイメージ

※グラフは横にスクロールしてご覧になれます

3. 北海道・洞爺湖町における「編集」という戦い方

植民地的なグリッドからの脱却

視点を日本に移しましょう。北海道の都市形成史は、オスマンのパリと同時代の近代都市技術の影響を色濃く受けています。明治期、開拓使顧問ホーレス・ケプロンらの助言の下、札幌をはじめとする北海道の都市は、原野にグリッド状の街路を敷くという手法で建設されました。測量技術や区画の考え方は、同時代の世界標準であったオスマンの手法と相似しています。

しかし、その「広すぎる道路」は現代において課題となっています。冬の寒風を遮るものがなく、歩行者にとってはスケールアウトしており、維持管理(除雪など)のコストも甚大です。結果として、車なしでは生活できないスプロール現象(都市の拡散)を招いています。

この歴史的背景を持つ北海道において、人口減少が進む洞爺湖町が取るべき戦略は明確です。それは、オスマンのような「拡大のための破壊」ではなく、既存の資産を活かす「質の向上のための編集」です。

現場:洞爺湖温泉街のポテンシャル

洞爺湖町は、美しいカルデラ湖と温泉という圧倒的な資源を持ちながら、昭和期に建設された巨大ホテルの老朽化や、商店街の空洞化という課題に直面しています。以下の地図エリアが、再生の舞台となる中心地です。

洞爺湖町では現在、「景観条例」を軸にした民主的な風景の管理が進められています。ここで重要なのは、オスマンが上から目線で建物の高さや素材を強制的に統一したのに対し、洞爺湖町の条例は、第1条で住民や事業者との「協働(Cooperation)」を明記している点です。これは、「Urban Planning(都市計画)」から「Machizukuri(まちづくり)」への明確な転換を示しています。

Urban Planning (都市計画)

オスマンの手法に代表される、行政や専門家主導のトップダウン型アプローチです。土地収用権などの強力な権限を行使し、道路拡幅や大規模建築といった「ハードウェアの整備」を優先します。マクロな視点での経済効率や衛生改善には劇的な効果を発揮しますが、既存の生活者コミュニティを破壊するリスクを孕んでいます。

Machizukuri (まちづくり)

日本独自の概念として世界的に注目される、ボトムアップ型のアプローチです。住民、企業、行政が対等の立場で協働し、ワークショップなどの対話を通じて合意形成を図ります。重視されるのは「ソフトウェア」であり、コミュニティ形成や景観保全、地域アイデンティティの継承です。物理的な完成よりも、プロセスそのものに価値を置きます。

提言:洞爺湖版「15分リゾート」

現代パリの知見をローカルに翻訳し、洞爺湖町に適用するならば、それは「15分リゾート」というコンセプトになるでしょう。通過型の観光地から、滞在型の生活観光地への転換です。

  • ウォーカブルな湖畔空間:
    湖畔沿いのメインストリートにおいて自動車交通を大胆に抑制し、道路空間を「車が通過する場所」から「人が滞在し、湖を眺める場所」へと変えます。これはパリがリヴォリ通りで行ったことの再現です。
  • 減築(Smart Shrink)による余白の創出:
    利用されていない空き家や廃墟化したホテルを単に更地にするのではなく、ポケットパークや足湯、共同菜園へと転換し、コミュニティの接点を増やします。建物を減らすことで、逆に空間の「質」を高める逆転の発想です。
  • インフラの可視化と美学:
    オスマンが下水道を「都市の臓器」として誇ったように、洞爺湖の水質浄化システムや温泉の熱利用インフラ自体を「エコミュージアム」として観光資源化します。バックヤードをフロントステージ化する戦略です。

結論:現代のオスマンはブルドーザーに乗らない

19世紀、パリは「破壊」によって近代都市の標準を確立しました。オスマンの功績は、都市を一つの巨大なシステムとして捉え、大胆にアップデートした点にあります。

しかし、私たちが生きる21世紀の北海道・洞爺湖町において必要なリーダーシップは、ブルドーザーによる物理的な刷新ではありません。データに基づき、住民との対話を重ね、既存の資源を丁寧に編み直す「編集力」です。

オスマンが求めた「光と空気」は、現代においては「コミュニティの温かみ」や「持続可能な環境」と言い換えることができるでしょう。物理的に道を広げる時代は終わりました。これからは、今ある道をどのように使い、誰と共に歩くかという「関係性のデザイン」こそが、真の都市大改造となるのです。


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