〜人口減少社会における「歩ける街」の真の価値〜
※本記事は2025年12月時点の最新情報を基に構成しています。
人類が「都市」という装置を発明して以来、私たちは常に「利便性」と「居住性」の調停に腐心してきました。とりわけ、20世紀のモータリゼーション(自動車化)は、私たちの生活圏を劇的に拡大させた一方で、歩行者の安全やコミュニティの紐帯を希薄化させるという副作用をもたらしました。
いま、世界中で再評価されている「近隣住区論(Neighborhood Unit Theory)」は、約100年前に米国で提唱された古典的理論です。しかし、この理論が内包する「徒歩圏内での生活完結」という思想は、現代の「15分都市(15-minute city)」や「カーボンニュートラル」という文脈において、驚くべき鮮度を持って蘇っています。
本稿では、この知的な変遷を辿るとともに、人口減少と財政制約に直面する北海道・洞爺湖町のような地方都市が、いかにしてこの理論を「生存戦略」として活用し得るのかを、多角的なデータと共鳴させながら紐解いてまいります。都市とは単なる建物の集合体ではなく、私たちの意志の集積体であることを、5つの章を通じて論じていきます。
1. 近隣住区論の源流:クラレンス・ペリーが描いた理想郷
■ モータリゼーションの衝撃と「子供の権利」
1920年代のニューヨーク。T型フォードの普及により、街は馬車の時代から内燃機関の時代へと急激にシフトしていました。しかし、その代償は小さくありませんでした。当時の都市設計は自動車の速度に追いつかず、路上は子供たちの遊び場から、命を脅かす危険な空間へと変貌を遂げていたのです。
1929年、クラレンス・ペリーが『ニューヨーク地域計画』の一部として発表した「近隣住区論」は、この混乱に対する鮮やかな回答でした。ペリーは、住区の規模を「一つの小学校を維持できる人口(約5,000人〜6,000人)」と定義しました。この「小学校を中心とする」という発想こそが、現代のコミュニティ設計の礎となっています。
■ 6つの基本原則とその哲学
ペリーが提唱した原則は、以下の6点に集約されます。
- 規模:一つの小学校を維持するに足る人口(約1,000〜1,200戸)。
- 境界:幹線道路により住区を囲み、通過交通を内部に入れない。
- 公園・レクリエーション:住民が容易にアクセスできる広場や公園の配置。
- 公共施設:学校を中心とし、住民が歩いて集まれる配置。
- 近隣店舗:住区の四隅(幹線道路との接点)に配置し、利便性を確保。
- 内部道路網:自動車の通過を抑制し、歩行者の安全を最優先する。
これらは単なる物理的配置のルールではありません。ペリーは、物理的な距離を縮めることで、希薄化しつつあった都市住民の「相互扶助」の精神を取り戻そうとしたのです。
2. 「15分都市」への進化:気候危機とパンデミックが変えたパラダイム
■ カルロス・モレノと「時間の生態学」
時は流れ、2020年代。パリ市長アンヌ・イダルゴが政策の目玉として掲げた「15分都市(La Ville du Quart d’Heure)」は、ペリーの理論を現代的にアップデートしたものです。提唱者のカルロス・モレノ教授は、都市生活を「移動の苦行」から解放することを説きました。
従来の都市計画が、土地の用途を分断(ゾーニング)し、長距離移動を前提としていたのに対し、15分都市は「多機能性」を重視します。一つの建物が、昼はオフィス、夜はコミュニティセンター、週末は文化施設として機能する。この「クロノトピア(時間の活用)」という概念が、都市の炭素排出量を劇的に削減する鍵となります。
| 比較次元 | 近隣住区論 (1920s-) | 15分都市 (2020s-) |
|---|---|---|
| 主たるドライバー | 交通事故からの安全確保・育児環境 | 気候変動・ウェルビーイング・パンデミック耐性 |
| 中心施設 | 小学校(教育・ソーシャルハブ) | 多機能拠点(働く・住む・医療・余暇) |
| 移動の哲学 | 歩車分離(車の排除による安全) | アクティブモビリティ(車への依存を減らす) |
| デジタル技術 | アナログな対面交流を前提 | リモートワーク、IoT、オンライン診療の融合 |
※表1:近隣住区論と15分都市の概念比較(筆者作成)
3. 日本の地方都市が直面する「静かなる有事」
■ スプロール化の代償と財政の硬直化
戦後、日本の多くの地方都市は「拡大」を前提に計画されました。郊外へ、さらに郊外へと住宅地が広がり、それに合わせて道路、上下水道、公共施設が張り巡らされました。しかし、今私たちが目にしているのは、その「維持コスト」が自治体財政を蝕む現実です。
人口密度が低下すると、1人あたりのインフラ維持費は幾何級数的に増大します。これは「負の集積経済」とも呼ばれる現象です。多くの自治体で、老朽化した橋梁やトンネルの修繕が後回しにされており、2030年代には物理的な限界が訪れると予測されています。
■ 北海道・洞爺湖町のケーススタディ
洞爺湖町を例に見ると、人口減少に伴う税収減と、観光資源である温泉街や公共インフラの維持というジレンマが鮮明になります。令和5年度の予算規模、約82億円。その中で、真に未来への投資に回せる「裁量的経費」は驚くほど限られています。
洞爺湖町:人口推移とインフラ維持コストの予測相関
※グラフ解説:青色は生産年齢人口の推移、赤色は公共インフラ(橋梁・上下水道等)の更新費用予測。人口が減る一方で、バブル期以前に整備された施設の更新期が重なる「ワニの口」現象が顕著化しています。
4. 批判的考察:なぜ「15分都市」に反旗を翻す人々がいるのか
理論の美しさの一方で、世界中(特に欧米)で「15分都市」に対する反対運動が起きている点も無視できません。これは、地方都市にこの理論を導入する際の「最大のヒント」になります。
「居住区の外へ出るのを制限されるのではないか」という陰謀論に近い反発が、オックスフォードなどで起きました。デジタル管理と都市計画が結びつく際の「透明性」の欠如が、住民の心理的な防衛本能を呼び起こした例です。
「15分圏内の利便性」がブランド化することで、地価が上昇し、低所得層がそのエリアから追い出されるリスク。都市計画が「富裕層のための快適なカプセル化」になってはならないという警鐘です。
5. 未来への提言:デジタル住区と「共助」のDX
■ 1分都市(Street-level transformation)
スウェーデンが取り組む「1-minute city(Street Moves)」は、15分よりもさらにミクロな、玄関を出てすぐの「ストリート」の再設計です。駐車スペースを公園やベンチに作り変えることで、住民の交流頻度を劇的に高めます。
■ 地方都市における「デジタルの杖」
物理的な集約が困難な洞爺湖町のような地域では、テクノロジーが「距離」を無効化する必要があります。
- メタバース市役所:物理的な移動が困難な高齢者でも、自宅から対面感覚で行政手続きが可能。
- 自動運転による垂直・水平移動:オンデマンド交通が「15分の心理的距離」を維持する。
- ドローンによる物流網:買い物の利便性を維持しつつ、物流コストを抑制。
結論:私たちが「15分」という時間に込めるもの
都市は、そこに住む人々の意志が固まったものです。「近隣住区論」や「15分都市」という言葉が真に目指しているのは、効率的な移動でも、整然とした区画整理でもありません。それは、私たちの人生において最も貴重な資源である「時間」を、渋滞や無機質な移動に奪われることなく、家族や友人、そして自分自身のために取り戻すことに他なりません。
「都市を計画することは、人々が望む生活を知ることから始まる」というジェーン・ジェイコブズの洞察は、100年後の今も、そしてこの洞爺湖の地でも色褪せることはありません。 82億円の予算をどこに投じるか。それは「私たちがどのような社会を愛し、次世代に何を残したいか」という問いへの、私たち自身の答えなのです。
近隣住区論の再定義とは、単なる地図の引き直しではなく、私たちの「暮らしの豊かさ」を自分たちの手で奪還する、極めて人間的で創造的なプロセスなのです。
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