パトリック・ゲデスが提唱した「バレー・セクション」や「地域(リージョン)」の概念は、気候変動や人口減少に直面する現代にこそ、不可欠な視座を与える


※本記事は2026年1月時点の公開情報および各種統計データを基に構成しています。

「都市は空間における場所である以上に、時間におけるドラマである(a city is more than a place in space, it is a drama in time)」

これは、近代都市計画の祖の一人と称されるスコットランドの生物学者であり社会学者、パトリック・ゲデス(Sir Patrick Geddes, 1854-1932)が遺した言葉です。

昨今、SDGs(持続可能な開発目標)やサステナビリティという言葉がビジネスや行政の現場で日常的に語られるようになりました。しかし、それらの概念が一般化する遥か100年以上も前に、環境と経済、そして人々の生活を、まるで一つの「有機体(オーガニズム)」のように捉えようとした思想家がいたことを、私たちはどれだけ理解しているでしょうか。

ゲデスは、当時の急速な産業化によって汚れ、病んでいく都市を目の当たりにし、都市計画家は都市の外科医であるべきだと説きました。彼が提唱した「調査(Survey)- 分析(Analysis)- 計画(Plan)」というプロセスや、地域を地形的断面で俯瞰する「バレー・セクション(Valley Section)」の概念は、単なる歴史的な遺物ではありません。

むしろ、気候変動による災害の激甚化や、人口減少による社会機能の縮小に直面する現代の日本、とりわけ豊かな自然資本と厳しい災害リスクが背中合わせに存在する北海道において、彼の思想はかつてないほどの鋭い輝きを放ち、私たちに「生き延びるための知恵」を提示しています。

本記事では、北海道・洞爺湖町およびその周辺地域(洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパーク)を舞台に、ゲデスの理論がいかにして現代の「まちづくり」に応用可能かを徹底的に紐解いていきます。約11万年前に形成された巨大カルデラ、数十年おきに繰り返される噴火、そしてそこに根付く人々の営み。これらをゲデスの「眼」を通して再評価することで、従来の観光振興や防災計画の枠を超えた、真の地域再生への航路が見えてくるはずです。

1. 「地域(リージョン)」という有機体への回帰

行政区画という「幻想」を超えて

まず、私たちが普段当たり前のように使っている「住所」や「行政区」について考えてみましょう。私たちは居住地を「〇〇市」や「〇〇町」という、地図上に引かれた人工的な境界線で認識しがちです。しかし、パトリック・ゲデスにとっての都市とは、そのような無機質な区画の集合体ではありませんでした。

彼にとって都市とは、より広範な「地域(Region)」という巨大な生命体の中に存在する、一つの器官のようなものでした。人間の体が、血管や神経でつながった臓器の集合体であるように、都市もまた、周囲の自然環境や農村と切り離しては存在し得ないと考えたのです。彼は都市を単独で切り離すのではなく、それを取り巻く地理的・生態学的な文脈の中に位置づけ直しました。

ゲデスは、フランスの社会学者フレデリック・ル・プレーの公式「場所(Lieu)- 労働(Travail)- 家族(Famille)」に強い影響を受け、これを生物学的・社会学的に発展させた独自の三位一体論(Trinity)を提唱しました。それが、「場所(Place)」「労働(Work)」「人々(Folk)」です。

現代によみがえる三位一体論(Place-Work-Folk)

この三つの要素は、単に並列しているわけではありません。ゲデスは、これらが相互に影響し合いながら、螺旋状に進化していくプロセスこそが社会の実体であると説きました。

すなわち、地理的な「場所」の特性が、そこで営まれる産業などの「労働」を決定づけ、その労働を通じて「人々」の社会構造や精神性が形成される。そして、成熟した人々は再び場所に働きかけ、環境をより良く改変していく——この循環が正常に機能している状態を、彼は「健全な地域」とみなしたのです。

これを、現代の洞爺湖町周辺(洞爺湖有珠山ジオパークエリア)の文脈に当てはめてみましょう。ここでは、この三要素が極めてドラマチックな形で結びついています。

Place(場所・環境)

約11万年前の巨大噴火で形成された洞爺カルデラと、今なお活動を続ける有珠山・昭和新山。豊かな森林と湖水、そして火山活動による地熱や温泉。これらは人間が作り出したものではなく、所与の条件としての「宿命」です。

Work(労働・経済)

火山灰土壌の水はけの良さを活かした果樹や野菜の栽培、噴火湾の地形を利用したホタテ養殖、そして温泉資源や景観を活用した観光業。これらは全て、「場所」の特性から必然的に導き出された「自然な職業」です。

Folk(人々・社会)

数十年おきに噴火を経験することで培われた「変動する大地と共に生きる」という独自の災害文化。ジオパーク活動を通じて育成された「火山マイスター」などの住民意識。これらは過酷な環境への適応の結果です。

ゲデスは、多くの都市計画の失敗が、「場所(環境)」への深い理解を欠いたまま、「労働(経済効率)」や「人々(社会制度)」の問題だけを解決しようとすることに起因すると鋭く指摘しました。例えば、自然の地形を無視して造成された住宅地が災害に脆弱であったり、地域の歴史的文脈を無視した再開発がコミュニティを破壊したりする事例は、現代でも枚挙にいとまがありません。

その意味で、洞爺湖町を含む1市3町(伊達市、豊浦町、壮瞥町、洞爺湖町)が連携して運営する「洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパーク」は、行政の縦割りを超え、地質学的・生態学的なまとまりである「自然な地域」を単位としてマネジメントを行おうとする、極めてゲデス的な実践であると言えるでしょう。

【表1】近代都市計画とゲデス的地域計画(ジオパーク)の対比
比較視点 従来の近代都市計画 ゲデス的地域計画
計画の基本単位 行政界による人工的な区画
(市町村単位での分断)
地形・流域による「自然な地域」
(バイオリージョン)
自然への態度 克服・制御・開発
(ダム建設、護岸整備などのハード偏重)
適応・共生・活用
(自然の摂理に従う土地利用、Eco-DRR)
問題解決のアプローチ トップダウン型のインフラ整備
(機能効率の最大化)
調査に基づく「保守的外科手術」
(既存資源の治療的活用)
目指す社会像 経済合理性の追求
(Workの最大化)
Place-Work-Folkの調和
(生命と生活の質の進化)

2. 「バレー・セクション」で読み解く洞爺湖の構造

山から海へ、職業と精神の連鎖

ゲデスの理論の中で最も視覚的かつ強力なツールとして知られるのが「バレー・セクション(Valley Section)」です。これは、山岳地帯から平野を経て海岸に至る河川流域の「断面図」を用い、地形的条件がいかにして人間の職業や社会構造を規定するかを示したモデルです。

通常、都市計画では平面的(2次元)な地図を用いますが、ゲデスは垂直方向(断面)の視点を取り入れることで、上流から下流への物質とエネルギーの流れ、そして人々の営みの連続性を可視化しました。彼は、源流の「鉱夫・狩人」から始まり、高原の「羊飼い」、平地の「農民」、そして河口の「商人・漁師」に至るまで、それぞれの場所が独自の職業倫理と精神性を生み出すと考えたのです。

さて、この古典的なモデルを現代の洞爺湖・有珠山エリアに重ね合わせるとどうなるでしょうか。驚くべきことに、そこには教科書的なまでに鮮明な「現代のバレー・セクション」が存在しています。

【図解:洞爺湖地域のバレー・セクション】

羊蹄山・有珠山
(Highlands)
壮瞥・台地
(Uplands)
洞爺湖温泉街
(Lowlands/City)
噴火湾
(Estuary/Sea)
  • ●高地(鉱夫): 大地のエネルギーの源泉。地熱、噴気、そして畏敬の念。活火山がもたらすリスクと恩恵の源。
  • ●高台(農民・羊飼い): 火山灰土壌の恵み。果樹園による自然の管理と育成。水はけの良い台地での農業。
  • ●低地(都市): 交流と消費の拠点。観光客と住民が交錯する場。温泉という資源の活用。
  • ●海(漁師): 外海との接続。山のミネラルを受け取るホタテ養殖の現場。世界経済との接点。

気候変動が断ち切る「連鎖」のリスク

さらに深く分析を進めると、このバレー・セクションの視点は、現代の気候変動問題の本質を浮き彫りにします。近年、噴火湾(内浦湾)では、地域の主要産業である養殖ホタテの稚貝の成育不良やへい死が課題となっています。

この原因については、単一の要因ではなく、高水温、海洋の成層構造の発達、餌環境の変化など、複合的な海洋環境の変動が研究されています。ゲデスの包括的な視点に立てば、これは海だけで完結する問題ではありません。「山(Place)」の気象変化や水源涵養機能の変化が、川を通じて「海での労働(Work)」である漁業環境に影響を及ぼしている可能性も、流域全体の連鎖として視野に入れる必要があります。

従来の縦割り行政では、森林被害は林野庁や道庁の林務課、水産資源の問題は水産庁や水産課と、別々の部署が個別に対応してきました。しかし、ゲデスが100年前に構想した「流域全体を一つの単位として計画する」という思想は、これらを統合的に捉え、解決策を探るための不可欠なフレームワークとなります。

3. 「調査・分析・計画」— 地域のカルテを作る

「診断なしの治療はありえない」。ゲデスにとっての都市計画は、医師が患者を診察するプロセスと同様でした。彼は直感や政治的思惑による開発を厳しく批判し、「調査(Survey)- 分析(Analysis)- 計画(Plan)」という科学的な手順を確立しました。

ここで重要なのは、ゲデスの言う「調査」とは、単なる人口統計や測量にとどまらないということです。彼は「包括的調査(Synoptic Survey)」を提唱し、地質、気象、植生から、歴史、伝承、そして人々の感情に至るまで、地域を構成するあらゆる要素を記述することを求めました。

データに見る「Folk」の現状と課題

では、現代の洞爺湖町における「Folk(人々)」の現状はどうでしょうか。公表されている統計データを見ると、人口減少という静かながらも確実な「病」が進行していることが分かります。

【図表:洞爺湖町の人口推移と観光入込客数の対比】

2000年人口
有珠山噴火・全町避難
人口急減
2010年人口
約10,200人
2020年人口
約8,500人
2024年人口
8,000人割れ目前

一方で、観光入込客数(洞爺湖町単独)は以下の通りです。

2024年度来訪
約228.4万人
(前年比 約97%)

出典:北海道「北海道観光入込客数調査(市町村別)」各年度版より筆者作成

2000年の有珠山噴火による全町避難は、人口動態に大きな傷跡を残しましたが、その後も少子高齢化による自然減が続いています。一方で、観光入込客数は年間200万人以上を維持しており、地域経済を支える重要な柱となっています。

この「定住人口の減少」と「交流人口(観光客)」という二つの数字のギャップをどう埋めるか。ゲデスの視点に立てば、単に観光客を増やして消費させるだけでは不十分です。観光客(一時的なFolk)にいかにして地域の「Place」や「Work」に深く関わってもらい、関係人口として地域の維持機能の一部を担ってもらうか。ジオパークの教育プログラムや体験型ツアーは、まさにその接点をデザインする重要な試みと言えます。

4. 「保守的外科手術」としての災害遺構

破壊されたものを、記憶装置として保存する

ゲデスは、スラムクリアランスのように既存の街を全て破壊して作り直す強引な手法を嫌いました。代わりに彼が提唱したのが「保守的な外科手術(Conservative Surgery)」です。これは、都市の歴史や既存のコミュニティを最大限に尊重し、病巣となっている部分だけを慎重に取り除き、健康な機能を回復させるという、極めて繊細な手法です。

洞爺湖町における「災害遺構」の保存と活用は、この「保守的外科手術」の精神を現代に体現していると言っても過言ではありません。通常、災害で倒壊した建物は「危険」や「悲惨な記憶」として早急に撤去されがちです。しかし、洞爺湖町では1977年の噴火で倒壊した病院や、2000年の噴火で水没した道路、被災した集合住宅をあえて「そのまま」保存しています。

これらは一見すると「負の遺産」ですが、ゲデス的な文脈では、地域の歴史と自然の猛威を後世に伝えるための不可欠な「器官」へと転換されています。すべてを新しく作り変えるのではなく、傷跡さえも地域のアイデンティティ(Folkの記憶)として取り込み、防災教育や観光(Work)という新たな価値を与える。

「破壊の記憶」を「生きる知恵」へと昇華させるこの取り組みは、都市の記憶を消去することなく再生させる、まさに名医による手術のような施策なのです。

シビック・エデュケーション:火山マイスターの役割

また、ゲデスの調査論において欠かせないのが、それが専門家だけのものではなく、市民自身によって行われるべきだという点です。「自分たちの住む地域を自分たちで調査し、理解すること(Civic Survey)」こそが、真のシチズンシップ(市民性)を育むと彼は信じました。

2008年から始まった「洞爺湖有珠山火山マイスター」制度は、この理想の具現化です。地域の住民が、科学者と共に火山のメカニズムや地域の歴史を学び、試験を経て認定されるこの仕組みは、単なる観光ガイドの育成ではありません。住民自身が地域の「観察者」となり、その知識を次世代や訪問者に翻訳して伝える「教育者」となるプロセスです。

2024年現在、多くのマイスターたちが学校教育や防災訓練、観光ガイドの現場で活躍しています。彼らは行政から一方的に計画を与えられる受動的な存在ではなく、地域の価値を自律的に発信する能動的な主体(Active Folk)へと進化しています。

5. 未来への「ネオテクニクス」に向けて

古技術(パレオテクニクス)からの脱却

ゲデスは、産業革命初期の石炭と蒸気機関に依存し、黒煙とスラムを生み出した技術体系を「パレオテクニクス(古技術)」と呼び、軽蔑しました。そして、来るべき電気と清潔な技術による、人間性を回復させる社会を「ネオテクニクス(新技術)」の時代と予見しました。

この予見は、現代の「脱炭素社会(カーボンニュートラル)」への転換と驚くほど重なります。洞爺湖町が2023年(令和5年)1月に表明した「ゼロカーボンシティ宣言」は、まさに現代版のネオテクニクスへの移行宣言と言えるでしょう。

【表2】洞爺湖地域のゼロカーボン施策(ネオテクニクス)
施策分野 具体的な取り組み内容
再生可能エネルギー
(地産地消)
豊富な地熱資源を活用した温泉熱利用、ヒートポンプの導入。冬の厄介者である「雪」を冷熱エネルギーとして活用する雪冷房システムの導入検討。
建築・住環境
(生活の質向上)
寒冷地特有の断熱性能向上(ZEH化)への支援。エネルギーコストの削減だけでなく、ヒートショック防止など住民の健康(Folkの保護)に直結する。
交通・移動
(クリーンな動脈)
EV(電気自動車)充電インフラの整備。観光地としての二次交通(グリーンスローモビリティ等)の導入による、排気ガスのない移動手段の確保。

特に注目すべきは、地熱や雪といった「場所(Place)」固有の資源をエネルギーとして活用しようとしている点です。外部から化石燃料を購入し続ける経済構造から脱却し、足元の資源を循環させる。これは、ゲデスが理想とした「地域内でのエネルギーと物質の循環」そのものです。


結論:100年の時を超えて響く「Think Global, Act Local」

パトリック・ゲデスの思想と強く結びつけられる警句に、「Think Global, Act Local(地球規模で考え、足元から行動せよ)」があります。このフレーズ自体の正確な起源については諸説あり、ルネ・デュボスなど後年の思想家に帰属されることも多いですが、ゲデスの地域計画思想がその精神的源流の一つであることは疑いようがありません。

洞爺湖有珠山ジオパークにおける実践は、この言葉の本来の意味を私たちに再提示しています。11万年の地球史(Global/Place)を理解し、その上で今日明日の暮らしや観光(Local/Work)をデザインする。そして、災害の記憶を継承し、賢明な市民(Folk)として生きる。

ゲデスが100年前にスコットランドから発信した「都市の医師」としての処方箋は、決して古びた書物の中だけの話ではありません。気候変動と人口減少という二つの荒波に揉まれる現代の日本において、私たちが地域の「健康」を取り戻すための、極めて実践的な羅針盤なのです。

「調査せよ。さすれば見えてくる」——ゲデスの声は、有珠山の噴気のように、今も私たちの足元から響いています。


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