〜持続可能な都市政策の転換点を読み解く〜
※本記事は2025年12月時点の調査データおよび関連法規に基づき構成しています。
「一オンスの予防は、一ポンドの治療に勝る(An ounce of prevention is worth a pound of cure)」
アメリカ合衆国建国の父、ベンジャミン・フランクリンが遺したこの言葉は、現代日本が直面している都市政策の最大の難局、すなわち「空き家問題」において、かつてない重みを持って響いています。
長年にわたり、我が国の住宅政策は、高度経済成長を背景とした「量的不足の解消」と「持家取得の促進」を主軸としてきました。しかしながら、人口構造の激変と住宅ストックの過剰供給は、都市および地方の居住環境に深刻な構造的変化をもたらしています。総務省の統計が示す事実は冷徹です。賃貸や売却の予定すらない「放置された空き家」は加速度的に増加しており、このまま推移すれば2030年には、東京都の全世帯数の約半数に匹敵する規模へ膨張すると予測されています。
このような構造的危機に対し、国は2023年(令和5年)、空家等対策の推進に関する特別措置法(以下「空家法」)の抜本的な改正を行いました。そこで打ち出されたのが、従来の「事後対処型」から強力な「予防・管理型」へのパラダイムシフトであり、その実行部隊として制度化されたのが「空家等管理活用支援法人」です。
なぜ、今この制度が必要とされるのでしょうか。そして、それは私たちの住む地域社会にどのような変化をもたらすのでしょうか。本稿では、制度設立の背景にある定量的データ、欧米諸国のモデルとの比較、そして北海道における先進事例を交え、その意義と全貌を徹底的に紐解いていきます。
1. 2030年問題:住宅ストックの構造的危機と定量的実態
空き家問題の深刻度を正確に把握するためには、単なる全体数ではなく、その「質」を見極める必要があります。賃貸用の空室や、売却活動中の物件は、市場原理の中でいずれ循環する可能性があります。しかし、真に恐れるべきは、統計上「その他の空き家」と分類される、使用目的がなく、市場から完全に脱落した物件の存在です。
加速する「その他空き家」の増加トレンド
国土交通省および野村総合研究所(NRI)の詳細な分析によれば、1998年から2018年の20年間において、この「その他空き家」は約1.9倍に急増しました。これは単なる景気変動による一時的な現象ではなく、人口減少社会における需給バランスの構造的な崩壊を示唆しています。
さらに衝撃的なのは、2030年に向けた予測データです。現状のトレンドが継続した場合、「その他空き家」は約470万戸に達すると推計されています。
【図解】「その他空き家(使用目的のない空き家)」数の推移予測
※野村総合研究所および総務省データを基に作成
470万戸という数字は、単なる統計上の数値に留まりません。これは、日本のどこかの町が丸ごとゴーストタウン化するような事態が、局所的ではなく全国規模で同時多発的に発生することを意味します。都市のスポンジ化(空洞化)は、防災リスク、治安悪化、そして行政コストの増大という形で、私たちの生活を直接的に脅かすことになります。
なぜ、市場原理だけでは解決しないのか
本来、経済学的な視点に立てば、需要のない住宅は解体され、更地として再利用されるはずです。しかしながら、日本の住宅市場には、その「新陳代謝」を阻害する3つの強力なブレーキが存在してきました。
- 1. 解体費用の高騰と経済合理性の欠如 人件費や廃棄物処理費の高騰により、一般的な木造住宅の解体には数百万円単位のコストがかかります。地方の地価が低いエリアでは、「解体費>更地売却価格」となるケースが珍しくなく、所有者にとって解体は「純粋な損失」となってしまいます。
- 2. 固定資産税制の逆インセンティブ 後述する「住宅用地特例」の存在により、建物を残した方が土地の固定資産税が最大6分の1に軽減されるという仕組みが長らく続いてきました。これにより、「危険な空き家であっても、解体せずに放置した方が税負担が軽い」という歪んだ動機付けが形成されていたのです。
- 3. 所有者不明と意思決定の停滞 所有者の高齢化、認知症の進行、あるいは相続登記の未了により、法的に「誰も手を付けられない」物件が激増しています。権利関係が複雑化した物件は、民間の不動産業者が最も敬遠する領域であり、市場から見放される主要因となっています。
2. 「アメ」と「ムチ」の再設計:改正空家法のメカニズム
こうした状況を打破するために施行された2023年の改正空家法は、行政の介入タイミングを劇的に早めることで、問題の「予防」を図る制度設計となっています。その核心は、新設された区分「管理不全空家」と、それに紐づく税制ペナルティの見直しにあります。
従来法では、倒壊が切迫した「特定空家」になるまで行政は強い措置をとれませんでしたが、改正法ではその前段階での介入が可能となりました。これは、医療に例えるなら「末期がんの治療」から「生活習慣病の予防」へと方針を転換したことに等しいと言えます。
| 比較項目 | 【従来】特定空家 | 【改正後】管理不全空家 |
|---|---|---|
| 状態の定義 | 倒壊等、著しく保安上の危険となる状態。 (すでに屋根が落ちている、傾いている等) | 放置すれば特定空家になるおそれがある状態。 (窓ガラスの破損、雑草の繁茂、外壁の一部剥落等) |
| 行政の介入 | 事後対応・最終手段 (助言・指導・勧告・命令・代執行) | 早期介入・予防措置 (指導・勧告が可能に) |
| 税制措置 (固定資産税) | 「勧告」で住宅用地特例解除 (税負担が約3〜4倍、最大6倍に) | 「勧告」で住宅用地特例解除 (より早い段階で増税リスクが発生) |
特例解除という強力なドライバー
特筆すべきは、これまで「倒壊寸前」までいかなければ発動されなかった税の軽減措置解除(実質的な増税)が、窓ガラスが割れている、雑草が繁茂しているといった「管理不全」の段階で適用可能になった点です。
これにより、所有者には「放置し続けることの金銭的デメリット」が明確かつ切迫したものとして提示されます。例えば、これまで年間5万円で済んでいた固定資産税が、勧告を受けることで一気に30万円近くに跳ね上がる可能性があるのです。
しかしながら、ここで重大な問題が生じます。所有者が「なんとかしたい」と思っても、遠方に住んでいたり、知識がなかったりする場合、誰に相談すればよいのでしょうか。行政が「ムチ(増税)」を強く振るう一方で、解決への具体的な道筋を示す「アメ(支援)」がなければ、所有者はただ追い詰められ、結果として放棄(所有者不明化)が進むだけになりかねません。
その「アメ」の役割を担い、行政と所有者の間をつなぐために制度化されたのが、「空家等管理活用支援法人」なのです。
3. 行政の手が届かない領域へ。支援法人の機能と役割
支援法人は、NPO法人、一般社団法人、あるいは民間企業(不動産、建設、まちづくり会社等)の中から、空き家の管理や活用に関する専門的知識を有すると認められる団体を、市区町村長が指定する制度です。いわば、行政の補完者として、公的な信頼(Badge of Trust)を背景に、民間の機動力を発揮することが期待されています。
2024年末時点で、すでに全国で約40の自治体がこの指定を行っており、その役割は以下の3点に集約されます。
空き家対策の第一歩は「所有者の特定」ですが、これは想像以上に困難を極めます。登記簿上の住所に所有者が居住していないケースや、相続未登記のケースが多発しているからです。
支援法人は、行政からの委託を受け、所有者探索のための現地調査や、所有者に対するアンケート調査、意識啓発セミナーの開催などを担います。特に行政職員のマンパワーが不足している中小自治体において、この実務代行機能は不可欠なインフラとなります。
空き家問題の多くは、単なる建物の老朽化だけでなく、兄弟間の相続争いや、境界確定の不備、残置物の処理といった「人間関係・権利関係のもつれ」に起因します。
行政は「民事不介入」の原則から、個別の家庭の事情や特定の業者の斡旋には踏み込みにくいのが実情です。支援法人は、民間団体としての柔軟性を活かし、司法書士や土地家屋調査士、解体業者、不動産業者と連携して、所有者の悩みに寄り添った解決策(ワンストップサービス)を提供します。
国際比較:なぜ日本は「支援法人」モデルを選んだのか
日本のこのアプローチの独自性を理解するために、先行する欧米の空き家対策モデルと比較してみましょう。特に米国の「ランドバンク」や英国の「カウンシル・タックス」は、それぞれ異なる哲学に基づいています。
| 比較項目 | 米国(ランドバンク) | 日本(支援法人) |
|---|---|---|
| アプローチの哲学 | 公的機関が「所有」する 税滞納物件等を差し押さえ、公的機関が法的に所有し、権利をクリアにしてから売却または解体を行う。 | 民間所有を「維持」する 所有権はあくまで個人のまま、管理と流通を法人がサポートする「官民連携・誘導型」。 |
| 財政的リスク | 高(公的負担大) デトロイト市などの事例では、大量の在庫管理コスト(草刈りや保安)が財政を圧迫。出口が見つからない限り赤字が続く。 | 低(民間自走を期待) 行政は委託費のみを負担し、物件の在庫リスクは負わない。持続可能性は民間のビジネスモデルに委ねられる。 |
| 強制力の強さ | 極めて強い(強制収用に近く、ハードパワーを行使) | 緩やか(ソフトパワー重視。所有者の意思決定支援が主眼) |
米国型のランドバンクは強力な権限を持ちますが、莫大な公的資金を必要とします。財政難にあえぐ日本の地方自治体にとって、大量の空き家を買い取り、維持し続ける体力は残されていません。したがって、所有権という私権には最大限配慮しつつ、民間活力を誘導して解決を図る「支援法人モデル」は、日本の法制度と財政事情における、現実的かつ苦渋の選択による最適解と言えるでしょう。
また、英国の「カウンシル・タックス(空き家に対する最大4倍の懲罰的課税)」と比較しても、日本は「増税の脅し」だけでなく「支援法人の手助け」をセットにしている点で、より丁寧なプロセスを重視していることが分かります。
4. 現場からの報告:北海道における先進的取り組み
制度の成否は、机上の理論ではなく現場での運用にかかっています。特に北海道では、多様な地域課題に即した支援法人の活動や、新たなテクノロジー導入の動きが始まっており、今後のモデルケースとして注目されています。
大樹町:「官民共創」によるワンストップ窓口の構築
人口減少が進む北海道大樹町では、2024年4月に「一般社団法人たいきまちづくりラボ」が支援法人として指定を受け、積極的な活動を開始しました。ここでは、行政と民間の境界を越えた「ハブ機能」が重要な役割を果たしています。
- ● 行政の補完と信頼性の担保 行政だけでは対応しきれない空き家所有者からの相談を、支援法人が一手に引き受けます。「役場からの紹介」という信頼(Badge of Trust)を背景に、所有者の心理的ハードルを下げ、権利整理や解体、売却に向けた具体的なステップを伴走型で支援しています。
テクノロジー活用による「負動産」の流動化
また、北海道内では、市場性の低い物件をテクノロジーで救済する動きも加速しています。例えば松前町では2025年に、全国的な「訳あり物件」買取業者である株式会社アルバリンクと連携協定を締結しました。
地元の不動産業者が扱いたがらない低額物件や、権利関係が複雑な物件に対し、全国規模の投資家ネットワークを持つテック企業のプラットフォームを活用することで、新たな需要を掘り起こす試みです。こうした「デジタルによる市場補完」は、大樹町を含む多くの過疎地域が参照すべき重要なソリューションモデルとなっています。
ニセコ・洞爺湖エリア:条例と民間活力を補完する役割
一方、国際的リゾート地であるニセコ町や洞爺湖町では、景観維持や雪害防止のために、独自の条例によって所有者に管理人の選任(管理会社との契約)を求めています。
ここではすでに民間のプロパティマネジメント市場が成熟していますが、支援法人はそうした「市場の網の目」からこぼれ落ちる物件や、民間業者が対応困難な複雑な案件に対してセーフティネットとしての役割を果たすことが期待されます。地域市場の成熟度に合わせて、行政・民間・支援法人の役割分担を最適化することが、制度運用の鍵と言えるでしょう。
結論:持続可能な「エコシステム」の構築に向けて
空家等管理活用支援法人制度は、単なる行政の下請け機関を作るためのものではありません。それは、行政の持つ強制力(税制・法規制)と、民間の持つ柔軟性(ビジネス・交渉力)を融合させ、2030年の都市危機に立ち向かうための、日本独自の「社会インフラ」です。
しかしながら、課題も残されています。最大の懸念は、支援法人の「収益性」と「持続可能性」です。安価な管理料(月額数千円程度)だけでは組織の維持は困難であり、大樹町のように地域のハブとなるか、北海道内の先進事例のようにテック企業と連携して新たな収益源を確保するなどの「ハイブリッド経営」が不可欠となるでしょう。
「都市をつくるのは、建物ではなく人である」。
都市論の母、ジェイン・ジェイコブズのこの洞察を借りるならば、空き家対策の本質とは、建物という「ハコ」の処理ではなく、その場所に再び「人の営み」を取り戻すプロセスに他なりません。支援法人が、その触媒として機能し、地域に新たな血流を生み出すことができるか。2030年問題まで残された時間はわずかですが、その成否が日本の未来を左右すると言っても過言ではないでしょう。
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