19世紀末のシカゴ万博で生まれた「シティ・ビューティフル運動」は、都市の美観を道徳と経済の基盤である


※本記事は2026年1月時点の公開情報を基に構成しています。

都市における「美(Aesthetics)」とは、果たして何でしょうか。それは、経済的繁栄の結果として許される「余剰な装飾」なのでしょうか。それとも、都市が生存し、成長するために不可欠な「社会インフラ」なのでしょうか。

かつて19世紀末のアメリカにおいて、煤煙と混沌に覆われた都市の危機に対し、建築家たちが提示した一つの解がありました。それが「シティ・ビューティフル運動(City Beautiful Movement)」です。都市を美しく、壮大に、そして秩序立てて計画することは、単なる眼福のためではなく、市民の道徳的向上を促し、社会秩序を回復し、ひいては持続可能な経済発展をもたらすための「機能」であるとする思想です。

翻って現代、この思想は「ウォーカブル・シティ(歩きたくなる街)」や「グリーン・ジェントリフィケーション」といった新たな相貌を纏い、再評価の機運が高まっています。本稿では、シカゴ万博を契機として広がった都市美の系譜を歴史的・哲学的に深掘りしつつ、その精神が日本の北海道、とりわけ世界ジオパークを有する洞爺湖町においてどのように実装され、新たな「資本」を生み出しているのかを、多角的な視点から検証します。

1. シティ・ビューティフル運動の起源:混沌に対する「白き秩序」

1893年シカゴ:「黒い都市」に出現したユートピア

まず、時計の針を少し巻き戻してみましょう。19世紀末のアメリカは、南北戦争後の急速な産業革命と都市化の只中にありました。中西部の中核都市シカゴは、鉄道網の結節点として爆発的な成長を遂げていましたが、その代償として、工場の排煙による大気汚染、移民の急増によるスラムの過密化、そして衛生状態の悪化という深刻な都市問題を抱えていました。当時のシカゴは、まさに煤にまみれた「ブラック・シティ(黒い都市)」の様相を呈していたのです。

そのような状況下で開催された1893年のシカゴ万国博覧会(World’s Columbian Exposition)において、建築家ダニエル・バーナム(Daniel Burnham)と造園家フレデリック・ロー・オルムステッド(Frederick Law Olmsted)らが提示した会場計画は、来場者に強烈な視覚的衝撃を与えました。

彼らが創出したのは、「ホワイト・シティ(White City)」と呼ばれる理想都市のモデルでした。パリのエコール・デ・ボザール(École des Beaux-Arts)の影響を色濃く受けた新古典主義様式の建築群、左右対称(シンメトリー)に配置された運河と広場、統一されたコーニスの高さ、そして白漆喰で仕上げられた輝くファサード。そこには、当時のアメリカの雑然とした都市には存在しなかった、理性によって制御された圧倒的な「秩序」が存在したのです。

Map: シカゴ万博(ホワイト・シティ)の舞台となったジャクソン・パーク

特筆すべきは、バーナムらがこの空間演出を通じて、「環境決定論」に近い信念を表明していた点です。すなわち、「美しく整然とした都市環境に身を置けば、人々の精神もまた高潔になり、都市の病弊である犯罪や不道徳は浄化される」という道徳的な確信です。このシカゴ万博での成功が契機となり、シティ・ビューティフル運動は単なる建築様式の流行を超え、社会改良運動として全米へと波及していきました。

Comparison items 【シティ・ビューティフル運動】
(米国 / D.バーナム / 1890s〜)
【田園都市運動】
(英国 / E.ハワード / 1898〜)
基本アプローチ 都市改造 (Reform)
既存の大都市中心部に、記念碑的な広場や軸線を導入し、威厳と秩序を付与する。
都市分散 (Decentralization)
過密な都市から脱出し、郊外に自然と共生する自立した「新都市」を建設する。
デザイン言語 新古典主義(ボザール様式)、幾何学的な直線、壮大な並木道(ブールバール)。 有機的な曲線、ヴァナキュラー(土着)な建築、コテージスタイル、職住近接。
目指した価値 市民的プライド(Civic Pride)、社会的統合、視覚的な美による教化。 公衆衛生、生活の質(QOL)、土地共有による資産価値の還元。

※両者は「近代都市の弊害を克服する」という目的は一致していましたが、その処方箋(都心改造か、郊外脱出か)において対照的でした。

2. 美の功罪:ジェイン・ジェイコブズの糾弾と現代の再評価

「小さな計画を立てるな」の光と影

バーナムは「小さな計画を立てるな(Make no little plans)」という、都市計画史上最も有名な言葉を残しました。人々の血を沸き立たせ、後世まで影響を与え続けるのは、論理的かつ壮大なマスタープランのみであるという主張です。この思想に基づき、ワシントンD.C.のナショナル・モール再整備(マクミラン計画)や、サンフランシスコ、クリーブランドなどのシビックセンター(官庁街)が次々と建設され、「都市計画(Urban Planning)」という専門職能が確立されました。

しかし、20世紀中盤に入ると、この運動は「権威主義的である」として痛烈な批判に晒されることになります。そして21世紀を迎えた現在、皮肉にもその「経済的価値」が再発見されるという、興味深い揺り戻しが起きています。

【批判】ジェイン・ジェイコブズの視点

1961年、都市ジャーナリストのジェイン・ジェイコブズは、名著『アメリカ大都市の死と生』において、シティ・ビューティフル運動とその継承者たちを、しばしば「建築デザイン偏重(architectural design cult)」として批判したと引用されます。

彼女が問題視したのは、壮大な計画がもたらす「都市の死」です。幾何学的な美しさを優先するために、既存の低所得者コミュニティを一掃(スラム・クリアランス)し、機能を厳格に分離した結果、街路から人々の日常的な賑わいが消え失せたのです。彼女にとって真の都市美とは、上空から見た幾何学模様ではなく、雑多な人々が行き交い、互いに監視し合うことで安全が保たれる「街路のバレエ」そのものでした。

【再評価】ハイライン効果と経済価値

一方で、21世紀のニューヨークにおける「ハイライン(The High Line)」の成功は、美観への投資が極めて高いROI(投資対効果)を生む事例として注目されました。

マンハッタンの廃線跡を空中緑道へと再生させたこのプロジェクト周辺では、不動産開発が加速しました。これは「シティ・ビューティフル」の現代的発露とも言えますが、同時に「グリーン・ジェントリフィケーション(環境改善による地価高騰と低所得層の排除)」という新たな課題も突きつけています。「美」は人を幸せにすると同時に、選別する装置としても機能し得るのです。

データで見る「都市美」の経済効果と注意点

都市の美観が経済に与える影響は、もはや感覚的なものではありません。ヘドニック・アプローチ(価格形成要因の分析)を用いた多くの研究が、緑地や景観の質が地価に正の影響を与えることを示唆しています。以下は、ニューヨーク・ハイライン周辺の地価変動に関する報告例をモデル化したものです。

【図1】ハイライン開通前後の周辺不動産価値の推移(イメージ)

基準値
2003
(計画初期)
+30%
2006年
(建設開始)
+103%
2011年
(第2期OP)

※NY市財政局等のデータを基にした報告例(2003-2011で103%増など)のモデル化。
ただし、学術的には推計手法により「最寄りで35%程度の上昇」とする研究もあり、上昇の全てがハイライン単独の要因とは断定できない点に留意が必要です。

3. 日本、そして北海道における受容と進化

開拓の地・北海道で芽吹いた「広域景観」の思想

さて、視点を日本に移しましょう。日本における都市計画法制は、明治期に欧米の技術を導入することから始まりましたが、北海道は「開拓使」による統治という特殊な歴史的背景を持ち、本州とは異なる都市形成の道を歩んできました。

例えば、札幌や帯広に見られる近代開拓期に計画されたグリッド状の街路(碁盤目状街路)や広い道路幅員は、アメリカの都市計画の影響を色濃く反映しています。この広大な大地と欧米的な都市構造の融合こそが、北海道独自の景観美の源泉です。

さらに、北海道の景観行政は、独自の歩みを遂げてきました。具体的には、2001年(平成13年)に制定された「北海道美しい景観のくにづくり条例」、そして景観法制定後の2008年(平成20年)に施行された「北海道景観条例」へと続く流れです。これらの取り組みには、以下の特徴が見て取れます。

  • ① 広域性の重視:
    行政区画(市町村)の境界を超えて連続する山並みや道路、河川を一つの「広域景観」として捉え、総合的に保全しようとした点。
  • ② 公共事業への網掛け:
    民間開発の規制だけでなく、道が行う公共事業(道路建設や河川改修)そのものに景観への配慮を義務付けた点。「まず行政が範を示す」という姿勢は、当時の縦割り行政においては画期的でした。

4. ケーススタディ:洞爺湖町における「美」の実践

では、現代の洞爺湖町において、シティ・ビューティフル運動の遺伝子はどのように発現し、どのような経済価値を生み出しているのでしょうか。2021年(令和3年)に施行された「洞爺湖町景観条例」と、ユネスコ世界ジオパークとしての活動から分析します。

スタティックな美とダイナミックな記憶

洞爺湖の景観戦略には、古典的な「都市美」とは一線を画す、二つの際立った特徴があります。

第一に、「災害遺構という美学」です。有珠山は20世紀に4度の噴火を繰り返しました。通常、破壊された道路や建物は「醜い瓦礫」として撤去され、復興の妨げと見なされます。しかし、洞爺湖町はこれらを「変動する大地(ジオ)」の記憶としてあえて保存し、散策路(フットパス)として整備しました。
これは、整然とした調和を目指したバーナム的な美とは対極にある、自然の脅威と人間の営みの対比が生む「崇高(Sublime)な美」の提示です。ここに、表面的な装飾ではない、土地の物語(ナラティブ)としての深みが生まれます。

第二に、「時間軸のデザイン」です。半年以上にわたり毎夜開催される「洞爺湖ロングラン花火大会」は、夜の湖面というキャンバスを使った動的な景観形成です。これにより、観光客の滞在満足度を高めると同時に、「宿泊」という経済行動を誘引する強力なレバレッジとして機能しています。

Map: 破壊と再生の共存──西山山麓火口散策路

未来への投資としての景観規制

加えて、ニセコや洞爺湖を含む北海道のリゾートエリアでは、インバウンド需要を見込んだ開発圧力が強まっています。ここで戦略的に重要になるのが、開発を単に阻害するのではなく「質を高める」ための規制誘導です。

「洞爺湖町景観条例」では、事業者に対し周辺環境との調和(色彩、高さ、意匠)を強く求めています。これは一見、経済活動の制約に見えますが、長期的には「乱開発によるブランド毀損」というリスクを回避し、地域全体の資産価値を維持するための「資本防衛策」なのです。美しいスカイライン(稜線)や湖への眺望権を守ることは、個々のホテルの短期的な利益を超えた、地域全体の共有財産(コモンズ)の最大化に直結します。

【図2】景観保全がもたらす観光地ブランドの持続性

景観規制あり
(持続的成長)
乱開発
(ブーム後の衰退)

■赤線:短期的な開発優先により、景観が悪化し魅力が低減する「コモンズの悲劇」パターン。
■青点線:条例等による質的コントロールが、長期的なブランド価値とリピーターを維持する。


結論:21世紀の「大きな計画」とは何か

19世紀のシティ・ビューティフル運動は、都市に「視覚的な秩序」をもたらすことで社会を変えようとしました。その権威主義的な側面は後に批判されましたが、「環境が人や経済に作用する」という彼らの洞察そのものは、現代のデータによって正しさが証明されつつあります。

洞爺湖町における実践は、単に建物を綺麗にすることではありません。それは、火山という圧倒的な自然、災害の記憶、そして観光という経済活動を、一つの調和したシステムとしてデザインすることです。

現代における「都市美」とは、表面的な化粧(コスメティック)ではなく、持続可能性(Sustainability)と経済合理性(ROI)を両立させるための「OS(オペレーティングシステム)」です。私たちに求められているのは、かつてのバーナムのように「小さな計画」に満足することなく、100年後の自然環境と人間関係を見据えた「大きな関係性のデザイン」を描くことではないでしょうか。それこそが、人口減少時代の日本において、都市が生き残るための最大の資本となるはずです。


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